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源氏物語を読みたい80代母のために 31

※タイトル画像は越前市ウェブサイト記事「万葉の里味真野苑」より拝借いたしました。
 今回はタイトルから少し外れた内容かも。いや、むしろ根幹に迫るテーマかしら(なんの?)。さっそく、武生のみならず福井県アゲアゲ!の試み、いきます。
 テーマはずばり
「平安時代の武生(越前国)には本当に文化がなーんにもなかったのか?」
 です。
 そも「文化」とはなんぞや?
 検索してみると:
社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教,種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては,それぞれの人間集団は個別の文化をもち,個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており,その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。」
 
つまり人が生活を営むところにすべからく文化はある、と。紫式部が「京都で享受していたような文化」は武生にはなかった、ということだろうか。いやそりゃ違う土地だし、京と同じとはいかないですわよ。そんなこと初めからわかり切ってるじゃないすか(←切れ気味)。
 気を取り直し。
 紫式部の生年は諸説あって多少幅があるが、970年以降ではあるらしい。越前守に叙任された父・藤原為時とともに越前国へ来たのが996年。
 つまり越前国に来たときは少なくとも二十歳は越えていた。未婚ではあるがれっきとした大人、父の意向もあったにしても、最終的には本人の判断といって差支えはあるまい。着いてソッコーで帰りたくなった、かどうかは記録にないのでわからないが。
 とにもかくにも、
 一年半
 の間は確かに武生に滞在してたのだ。
 父の任期途中で帰京した理由は、
「京とはまるで違う田舎暮らしに飽き飽きしていた」
 かもしれないし、違うかもしれない。何にせよ、大きな理由のひとつは「宣孝の存在」とみていいんじゃなかろうか。帰京してすぐ結婚してるし。
「越前国」とはどういうところだったか。
1.古くからの要衝の地
・持統天皇の時代(692)の文書に「越前」の名。このあたりに「コシ」から越前国として分立されたらしい。
・長く対「蝦夷」政策の後方負担地域であり、日本海対岸諸国との窓口であった。
・古代日本において特に重要な三関のうちの一つ「愛発関あらちのせき」があった(場所は不明)。警察や軍事の機能も兼ね備える関国げんこくである越前国の国司人事は特に重要視されていて、789年に突然三関が廃止されるまでは、政権と関係が深くかつ優秀な人材(帰京後に参議や大臣になるクラス)が送り込まれていたという。
2.神社・寺院が多い
 延喜式(10世紀前半)にあげられた越前の古社名は126座で全国第6位、北陸では断トツの数。古代寺院は現存していないが、礎石のみ残っているところが五か所ある。
3.外国人との関わり
 8世紀前半から10世紀ごろまで渤海使が30回くらい来日。越前国はしばしばその窓口となり滞在中の接待など行った。
 唐人(宋人)も10世紀末ごろから来航。995年(長徳元年)9月上旬、宋人70余名が若狭に来航したとの一報が中央政府に入る。その翌年、長徳二年正月の除目にて紫式部の父・為時が越前守に。宋人を応対するうえで漢詩文の才を見込まれての抜擢といわれている。
4.万葉集に「越前国」ゆかりの歌
・笠金村(天平6年:734)、越前守となった石上乙麻呂に随行して越前にやってきた。
・越中守として赴任した大伴家持(天平18年:746)は、越前じょうに転任した一族の大伴池主と歌をとりかわした。
・越前・味真野に配流になった中臣宅守やかもり(天平12年:740)、京に残された妻・狭野茅上娘子さののちがみのいらつめと多くの歌を詠みかわした(万葉集に63首!)。
 君が行く道のながてを繰り畳ね焼きほろぼさむ天の火もかも(娘子)
 過所かそなしに関飛び越ゆる霍公鳥ほととぎすあまた吾子にも止まず通はむ(宅守)

 と、ここまで書いてみて。
 え?結構よくない越前国?
 歴史ある国で観光地(寺社仏閣)多数、国際的な香りもする。もしかして外国人にも会えるかも?!
 何より4!!
 この、引き裂かれた二人の相聞歌!!!
 超のつくインテリであり物語好きの紫式部が知らないはずがない。そのうえ中臣宅守は鎌足のひ孫、つまり藤原系。遠い縁者が書き残した、情熱的でエモいお歌の数々。紫式部の時代からも200年以上さかのぼる昔々の悲恋に、胸キュンしない女子がいるだろうか?いやいない(反語)。
 味真野は武生駅周辺(国府があったと言われてる辺り)から少し離れてはいるが、雪さえなければ行けない距離ではない。
 紫式部さん、やったね?
 聖 地 巡 礼。
 いや絶対に行ってる(確信)。
 京から越前に向かう道中でもきっと
(これがあの、折って畳んで焼き尽くしたいと歌われた道……!)
 と密かに胸をときめかせていたに違いない。
 ていうか「須磨」の元ネタや宇治十帖の雪道も実は……?!

 なんか妄想がはかどって俄然面白くなってきたのでまた続く♪

※参考にしたもの
 福井県文書館ウェブサイト「福井県通史編1」原始・古代
「福井県の歴史」隼田嘉彦 白崎昭一郎 松浦義則 木村亮 山川出版(2000年11月初版)
 wiki、コトバンク等。

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「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。