見出し画像

源氏物語を読みたい80代母のために 33

 台風のせいで家にひたすらお篭りした今年の盆休み。おかげで読書は捗りました。日本海側に住む母も猛暑にくじけそうになりながらも、
「家に一人の時に突然『雑煮』が食べたくなって、作って食べたら元気出た!」
そうです(つええ)。ちなみに福井の雑煮は味噌仕立ての丸餅、鰹節を山盛りぶっかけて食します。塩っ気大事ね。
 さて今回は「抜け落ちた情報」を想像で補完し、フィクションとして構築するならば、ということを考えてみます。
 まず紫式部の生涯を書いた小説といえば、コレ!

「散華 紫式部の生涯」上下巻 杉本苑子

 なんと1993年発行ですわよ。30年前……!
 本屋のカバーや帯までかけっぱなしで本棚にしまってあった私の物持ちの良さときたら、自分でもドン引きですわオホホ(だから家が片付かないのよ!)。
 カバーに印刷された今はもう激減してしまった本屋チェーンの名を眺めると、つくづく昔は本屋沢山あったよなぁ……としみじみ。特に都内は、街を歩けばいたるところ本屋に当たってたのよ。世は無常ですわ。
 話がズレました。
 ともかく「散華」。
 改めて読み返してみると紫式部というより、その一族の話でした。前半は叔母の周防視点、途中から大人になった紫式部(作中では小市)視点に変わる。正直、どっちか一人に絞った方がよかったのではと思わなくもなかった。が、この時代の身分制度や慣習、同族で固められた政権のアレコレを説明していくのが単一視点では厳しかったのかもしれません。ちなみに作中での道長の悪辣非道っぷり半端ないです。
 で、肝心の越前国下向のところですが……
【以下、「散華」未読の方はネタバレ注意】
 端的にいうと越前国についてはあんまり触れてない。というか、重要視してない。 
 国司の家での何不自由ない生活ぶりと、近くの寺社にちょっと立ち寄った・地元の特産物として紙を貰った、くらい。のちに結婚する宣孝との文のやりとりで気持ちが盛り上がって気もそぞろ、越前国の諸々にはほぼ興味なしといった体。
 うーんうーん、どうなんだろう。
 確かに帰京して翌年には宣孝と結婚してるから、そういう解釈もありなのかもしれない。
 ただ、当時の紫式部は二十代後半。相手は昔から知ってる遠縁のオジサン。失礼ながらそこまでときめく相手か?いや、初婚ならばアリ?実際、歌集には歌のやりとりも残ってる。思いっきり喧嘩してるっぽいのもあるが、そこはラブラブだった証でもある。
 だけど、この「散華」における「小市」と、私が「源氏物語」から汲み取った紫式部像とでは、かなり乖離があるのだ。あれほど観察力と洞察力に優れた、好奇心も強そうな紫式部が、生涯二度とは訪れることのないであろう「大国・越前国」にそこまで関心を持たなかったわけがある?とどうしても思ってしまう。
 宣孝は既に複数の妻持ちだったとはいえそこそこ有能な官人ではあったし、行き遅れた学者筋の家の娘としては安定感ある良縁である。それが結婚寸前?に、あえての越前国下向を決めたのは何故か?
 以下、またもや勝手な妄想を膨らませてみる。

【紫式部・心の声】
……
 あーあ私もついに結婚かー。宣孝様ね……別に嫌いじゃないけど、何だかな。親戚同士の結婚ってイマイチ新味がないっていうか、つまんないわよね。本当にこれでいいのかしら。
 ……え?お父様、まさかの淡路から越前国赴任決定?!マジで?!
 ちょっと待って待って。越前国って大国よね。宋国からちょくちょく船も着くっていうし、今回もそれよね。お父様の漢文能力をかわれての抜擢だもの。本物の外国人……どんな感じなのかしら。見たい!是非とも見たい!
 神社仏閣もすごく多いらしいし、紙や刀の産地、万葉集に出てくるあのお歌の聖地でもある……!やばい超やばい!行ってみたい!
 結婚しちゃえばずっと家の中で、こんな遠出なんて絶対できないわよね。
 決めたわ。うん決めた。
 お父様ー!
……
 てな感じで、結婚前のモラトリアム期間、と仮定すると、越前国滞在時の記録が殆ど残ってないのも逆に頷ける気がする。和紙の一大産地でもある越前国、京にいる時より紙は手に入りやすかったはず。現地で思い存分楽しんで色々書き散らかして、帰京前に
「さ、これで私の青春終了!」
 とばかりに全て置いて行ったor処分したんではなかろうか。
 もしくは……
「未来の夫に到底見せられない内容だったので、焼き捨てた」
 んだったらもっと面白い(黒微笑)。

 そもそも源氏物語中では「武生」「越前」の名は殆ど出てこない。わずかに、宇治十帖「浮舟」での浮舟の母の言葉にある:
「さなむ思ひはべれど、かしこもいともの騒がしくはべり。この人びとも、はかなきことなどえしやるまじく、狭くなどはべればなむ。武生の国府に移ろひたまふとも、忍びては参り来なむを。なほなほしき身のほどは、かかる御ためこそ、いとほしくはべれ」
 ↓
(自分も一緒に実家に帰りたいと願う浮舟に対し)
「私もそうしたいのは山々なんだけれども、(妹娘の出産で)今とにかくやれ祈祷だ何だと彼方は大騒ぎですからね。貴女を連れていくとなると此方の女房達も幾人かは付き添わねばならない。そんな人数を置いておけるような部屋すらないのよ。大丈夫、たとえ『武生の国府に』移られたところで、私が必ずこっそりお伺いしますからね。私が不甲斐ない身の上なばかりに、いつも貴女に肩身の狭い思いをさせてしまう、本当にお可哀想だけれど……いつでもどこでも貴女のことは思っているから」(ひかるのきみ「浮舟 五」より)
「道の口 武生の国府(こふ)に 我はありと 親に申したべ 心あひの風や さきむだちや」
 という催馬楽から引いた体にしてのこの言葉。別におかしくはないのだが、元々浮舟の母は八宮の子を産んだ後、陸奥国(東北)の守と結婚して宇治を去り、その後「常陸国」(茨城県辺り)に移って長く過ごした。どちらも京からは、越前国の武生よりずっと遠い。
「どんな遠くに住むことになってもこの母が行きますからね」
という気持ちを伝えたいなら、母子ともに長く住んでた常陸国のほうを上げるんじゃないかなあ普通は。催馬楽にひっかけてるけどとどのつまり、紫式部にとっての最大の「遠い所」は武生だったってことじゃないんだろうか。
 まったくのフィクションの体をとりながら、こうしてリアルをちらほら盛り込む、ファンにとってはたまらない手法ではないかと思う。
 実際、本当に自分が行ったことのある場所やそこで会った人なんかを「そのまんま」書くことは如何に平安時代といえども憚られたんじゃないかしら。特に京から離れた越前国を舞台として出したら、読む人は
「越前国ってこういうところなんだ」「これは紫式部さんの実体験なんだ」
 と思いこみかねない。下手すると、向こうにいる人に迷惑がかかる可能性だってある。リアルとフィクションは極力遠い方が無難なのだ、今も昔も。
 意図的に盛り込むことを避けた、と考えると、
「どうでもいい・印象のない場所だから書かなかった」
 のではなく
「濃密に時を過ごした場所だからこそ書けなかった」
 の方がしっくりくる。
 
 まだまだ妄想続きます。


宣伝タイム:
 80代母が1~2か月に一冊(新書版)のペースで読破した、
「挫折しない源氏物語」
 の「ひかるのきみ」

 よかったらお試しくださいまし。
(ブログ「もの書く日々」で全部読めます!「ひかるのきみ」ラベルをクリック♪)

【電子書籍】【紙本】若干の加筆修正・あとがき付。BCCKSにて製作、販売(全巻そろってます)。

【電子書籍】BOOK☆WALKERにて12巻まで販売中。


【電子書籍】BOOTHに全巻あり(壱、弐はEPUB版・PDF版とも無料)
頑張って各巻の紹介も書いたので、観るだけ観ていただけると嬉しいです。
紙本もそのうちここで。





 

 

「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。