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バスの時刻まであと15分、私は45歳の人妻になった

電車とバスを乗り継いではせ参じたバイト先の飲み会は、電車に接続する最終バスの時間を理由に一次会でおいとますることとした。
遠方からの参加なので二次会に行くとあらば泊りがけとなるのだが、私には金銭的にその余裕がなかった。

みんなに別れを告げ、賑わいの戻ったアーケード街を千鳥足予備軍的なふわふわとした足取りで駅に向かう。
3年ぶりに使うICカードを改札に通し、駅のホームへと伸びるエスカレーターに乗る。電車を待つ列に並んだタイミングで電車が入線してきた。思ったより人が少なく席が空いており、ゆっくりと座ることができた。
(これでちょっと疲れた身体を休められるな)
そう思って目を開くといつの間にか電車は進んでいて、自分が降りる二つ手前の駅名が車内でアナウンスされた。
(降りる駅まで二駅ある。寝過ごさないようにしなければ)
そう思い気合を入れて目を見開くも、久しぶりに浴びるように飲んだビールが効いてきて、気づかぬうちに瞼が落ちていた。

「プシュー」
電車のコンプレッサーの水を抜く音で目が覚める。電車は停まっていた。
窓の外を見ると、馴染みのある少し寂し気な雰囲気の駅の電灯が目に入る。
(あぁ、あと一つ先か)
一つ手前の駅で停車しているようだと思いほっとして、背もたれからずれてしまった背中を引き上げて座りなおす。酔っ払いのだらしなく下げられた目線が少し引かれ、停車中の駅の看板の文字が視界に入ってくる。
「あ!」
思わず声を上げる。ここが降りる駅だったのだ!
慌てて電車を降りる。
上りの電車待ちで15分ほど駅に停車する便だったため、乗り過ごしは避けられた。単線のローカル線あるあるに救われた。

「危なかったぁ~乗り過ごしたら、暗闇の中、2時間半歩かなきゃならないところだった。」
誰もいない駅の階段をゆっくり降りながら独り言をつぶやく。
接続の最終バスを逃すと、2時間半かけて歩いて帰るか、タクシーに乗って帰るかの二択になる。タクシーだとホテル代と変わらない料金の距離を乗らなければならず、一次会で帰った意味がなくなってしまう。危機一髪、それが避けられたことに安心して胸をなでおろした。

駅の前のバス停の時刻表を確認する。バスの時刻まではあと15分ある。さっきみたいに眠りかぶって最終バスに乗る機会を逸してしまうのは嫌だ。

しかしこの様子を客観的に見てみると、スリル満点のドキドキ感あふれるアトラクション的な何かに思えてきて「この酔っ払いは無事に最終バスに乗れるでしょうか?クイズ!」とかいう番組やったら面白そうだと妄想していたら、後ろから声をかけられた。
「こんばんは。次のバスは何分かえ?」
タクシーの運転手さんだった。

「あと15分くらいで来ますよ。」と返すと、
「15分も待つくらいだったらタクシーに乗りよ」と誘われる。
「二次会を断って、バスの接続にちょうどいい電車に乗ったのでバスに乗ります」と返すと、
「安くするから」と言うのである。押したらいけるんじゃないかという営業トークが始まった。

「タクシーで帰るのなら、二次会に行けばよかったなぁ~ホテルが高くて一次会で帰ってきたんよー」とか漏らしてみる。
「そうよ、タクシーで帰りよ。すぐ着くよ。安くするから。おいちゃん、この後予約が二件入っているから、今しかないよ」と押してくる。
「そうよ」と返されたのは私の会話のどこにかかるのかがわかんなかったのだが、予約が入っているとは、なかなかやり手の運転手さんである。ちょっと感心しながら、金欠なので一次会で帰る、を選択した自分の決意は揺らがない。「バスに乗って帰る」の一択だ。

この3年間の新型ウィルスが蔓延したことでタクシーの需要が減って生活が苦しくなっていたおいちゃんかもしれない、と思いつつ、私もこの3年間はどうやって生きていくか悩みながら、低空飛行をしていた部類の人間だ。そのあたりはお互い様と思うことにした。

「旦那は迎えに来んのかえ?」
タクシーの運転手が話を変えてきた。
「あー旦那も飲み会で、今日は泊まりってさ」
とっさに私の口から言葉が放たれた。昭和的な言い方をすると、〇も×もついたことのない私は、頭の中に架空の旦那を仕立て上げ答えていた。
「旦那さんはいくつ?」とタクシーの運転手。
「50歳だよ」
「あんたはいくつなん?30歳くらい?」
「いえいえ、45歳よ」(と5歳さばを読む)
「へぇー若く見えるなー」
そう返されて、もっと若く言わなかった自分を悔やむ。どうせなら35歳って言っておけばよかった。

「子供は?」
「いないんよ」
「そうかえ。ならあんたのバイト代と旦那の給料で余裕やな」とうらやましそうな視線を私に向ける。

先ほどの飲み会の、謎のたこ焼きルーレットで奇しくも当たり(超激辛唐辛子たこ焼き)を引いた私は、罰ゲームさながら30人の前でこれからの抱負を発表させられ「脚本を書いて当てまぁっす!!」と宣言したばかりであるが、現実は食いつなぐのに精いっぱいで生活が不安定な私よりも、タクシーの運転手として自力で稼いでいるおいちゃんのほうがよっぽど余裕があるように見えてうらやましいわ、と突っ込みたくなった。

「旦那は何しよる人?」おいちゃんの次の問いが立てられた。
「公務員、かな?」架空の旦那のキャラ設定が甘かったため、濁したような言い方になってしまった。
「へぇーそりゃぁこれからも安泰やなぁ~おいちゃん、独身なんよー」
ちょっと寂し気に言っちゃったりしてるけど、どうしてもタクシーに乗るお金は捻出できないし、自力で稼げているおいちゃんがうらやましい私は、
「そうなんですかぁ」と精いっぱいのしなやかな声色で、少し寂し気に人妻っぽく返してみた。
なったことないけど。

そうこうしているうちにバスがやってきて、定刻通りの最終バスに乗ることができた。

無事に最寄りのバス停で降りることができたのは良かったのだが、私にはさらに乗り越えなければならない関門があった。
バス停から家まで歩いて15分。
街灯の少ない田舎の暗い道の途中にはイノシシが生息している竹山があり、ややもするとそこからイノシシが飛び出してきて襲われる危険がある。ここを無事に通り過ぎないと家にはたどり着けない。

あの時おいちゃんのタクシーに乗ったのなら、45歳のしなやかな人妻の声で何を話したのかしらと思いながら、歩道脇の竹山の奥から聞こえるイノシシの足音に向かって、とうてい人の声とは思えない低い犬のような「うぅ~うぅ~バウバウ!」という唸り声をあげ人間?の存在を知らしめ威嚇しながら、帰路についた。

こうして、私の45歳の人妻の人生は一夜限りの15分間で幕を下ろしたのであった。

(おわり)

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