見出し画像

生霊によって声の質感が変わる、とは?

私はある時、ひょんなことから演劇に関わることとなり、舞台に出なければならなくなった。
声が劇場の後ろのお客さんまで届けられるかどうかという心配が極大に達したため、ボイトレを始めた。シンガーソングライターとして活躍しているプロの先生にお願いして、レッスンを受けることとなった。

私は、歌うこと、劇で役を演じることは、中学生の頃の執拗ないじりというか、いじめにあって以来トラウマとなり、人前でそういった場面に出ることが非常に苦手で避けてきた。

歌とか劇に関わると九割九分「調子に乗んな」とどこかで一喝される。

なぜなのかわからない。
本番で、舞台や場面を破綻させたらどうしよう、という不安しかなく、私には調子に乗るなんて余裕は全くない。

どこかで地雷を踏んでいるのかもしれない。無意識に「何か」をやっているのかも。
それが何なのか、半世紀生きてきた私にはさっぱりわからない。
もしかしたら私には「調子に乗んな」という霊でも憑いているのではないだろうか。

ボイストレーニングをお願いした先生は、声を出すための身体の使い方を教えてくれる方だった。
口腔内の構造、口回りやお腹の筋肉の使い方を基本として、どういう練習をすればいいのかを教えてくれた。

「横隔膜が開くことを意識して「ニャオン」と発声すると、声が大きく出るようになりますよ」
「ニャオン、ですか?」
「はい、ニャオンと大きく!」
「ニャオン! ニャオン! ニャオン!」
住宅街の一室から、謎の猫の鳴き声が響き渡る。このあたりのご近所さんに怪しまれないだろうか? という心配をしつつも、これはれっきとしたボイトレなのだ。
「歌とか演劇とか超苦手すぎて、気が重いんです」
と漏らした生徒の興味関心にできるだけ寄り添って、猫好きの私に楽しそうな練習方法を与えてくれたのである。

これなら車の運転中でも、散歩中でも、ふとした時に練習しやすい。
調子にのって「ニャオン! ニャオン!」と発声していると先生が、

「さて次は”ジュオントレーニング”をしましょう」とおっしゃった。

え?
じゅ、じゅおん???

今までのトレーニングには出てこなかった種類の言葉に戸惑う。
”じゅ” がつく ”音(おん)”とは何だろうか?

「あれ? じゅおん知りません? じゃぁ、映画『リング』の貞子、知ってます? 黒髪の女の人がテレビから出てくるやつ。あんな感じでのどの奥から怖い感じで「あ゛あ゛あ゛~」と声を出してみてください」

(あぁ、呪怨、か)

”おん”は「音」ではなく、「怨」だった。

「あ゛あ゛あ゛~ いかにも呪われそうな感じで。はいどうぞ」と先生。

「あ゛あ゛あ゛~」
今まで響いていた猫の鳴き声から一変、呪いそうな恐ろしい声へと変わる。

「はい、いいですね~ では、あ゛あ゛あ゛~のあとに続けて、普通の声を「あー」と出してください。そうすると、ずれていた喉の奥の膜がそろって開くようになり、喉に負担をかけることなく声が出るようになりますから。はい、やってみてください」

「あ゛あ゛あ゛ぁ゛~ぁ あ あ あー」
「そうそう、いい調子ですよ~」

芸能関係の霊にとり憑かれているんじゃないか、と変な妄想を巡らせているため、呪怨トレーニングは割とイメージがしやすかった。
もし霊が本当にいたら、こえーよ、とか思いながら声を出してみる。

「あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ あ あ あ~」
なるほど、これは面白い。遊びながら練習ができるな、と思っていると先生が、

「いきりょうによって声の質感が変わりますからね~」とおっしゃる。

「えっ? 生霊!?」
呪怨の後の生霊。
付き合いがそれほど長くない人から「生霊」という言葉が出るということは、私に霊が憑いているのか?
こわいこわいこわいこわい・・・
背後の生霊の種類によって、声の質が変わる?
それってボイトレの意味ないやん。
(あぁ、やっぱり私は歌とかやらないほうがいいんだわ。お祓いしたほうがいいのかも)
不安でいっぱいの頭の中が「生霊」という言葉に支配された。

しかし先生は、私の大きめの驚きには気づかなかったようでスルーしてレッスンが続けられた。

「ええ、いきりょうで声の質感が変わるんですよ~やってみますね」

「あぁ~ 歌手の〇〇さん風です」
「あぁ~ あ、これ玉置浩二風です」
「あぁ~ これ、僕の歌を歌うときの声質です」

あれ? 

あ!

先生がおっしゃったのは「生霊」ではなく、「息量」だった。「息の量」を早口で言われたので、「の」の音を落として聞いてしまった私の単なる聞き間違いだったのだ。

自分のあほな間違いに噴き出し、その場で大声で笑ってしまった。

先生が不思議そうにこちらを見るので、私の「いきりょう」の勘違いと、「調子にのるな」って霊が憑いてるんじゃないかと思ったことを説明すると、

「そういうことだったんですか。そういう僕は調子に乗ってここまできちゃいましたからね~2万人のオーディションで選ばれてデビューしちゃったんですよ」
2万人のオーディションで選ばれたら、私だったら有頂天になって、天狗になるなと思いながら、調子に乗るという体験が、その人の進むべき道を見つけるきっかけになることがある。人生の中で一度は「調子に乗る」ことがあったほうがいいんじゃないかと思った。

帰宅しふと考えた。私が調子に乗っちゃったことって何だろう。

小学生の運動会でカニ走りを褒められた時くらいだな。
(当時カニ走りと呼んでいた走り方は、あおむけの状態で、やや後方に出した手を床に付き、足を屈伸させお尻を浮かせて、両手両足を動かして進むというもの。四つん這いのあおむけバージョンと説明したほうが分かりやすいかも)
唯一の調子に乗った思い出がカニ走り。
小学校の廊下を不思議な体勢で端から端まで走り回っていたなぁ~

「あ゛あ゛あ゛~」

この日の呪怨トレーニングを復習しながら、懐かしく思い出したカニ走りを部屋でしてみた。
体重の増加と四肢の筋力の低下により、カニ走りはゆっくり進み、すぐにお尻が床についた。たった数メートル進んだだけなのに、運動不足で息が上がった。
そのせいか、吐き出す息の量が多くなっていて、声の質感はいつもよりもずしりと重く低かった。
息量によって声の質感が変わったのを実感した。
なるほど、こういうことなのか!

吐き出す息の量を少しずつ変えて、発声をしてみる。
ふむふむ。
つかめたんじゃない?

そしてふと我に返る。
地響きのような、今にも恐ろしいことが起こりそうな低い声を発しながら、部屋の床をお尻を引きずりながら低い体勢でカニ歩きする中年の女。

調子にのった地を這う生霊が見える・・・

生霊によって声の質感が変わった瞬間であった。

(おわり)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?