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お笑い、テレビ番組、漫画、本、ゲームなどの感想、紹介

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映画や音楽以外で、好きなものの「感想」がちょこちょこたまってきたので、まとめました
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記事一覧

気持ちが疲れた時に救ってくれるのは、好きなことたち

 2月なのに暑く感じる日が続いて春のコート出しちゃったり、強風が吹く寒い日が来てマフラー巻いたり。今日はまた暑いじゃないのよ。    先週末は、「鬼滅の刃 柱稽古編」を観に映画館に行く道中、目の覚めるような美しい風景を見ながら山を越えた。  「鬼滅の刃」のキャラクターはみんな好きなのだけど、伊黒さんは中でも良い。いつも隠れている口元が見えた時やしみじみしている背中、そして何よりちょっと困ったように見える表情をする。眉の描かれ方がポイント。  伊黒さんのエピソードや戦闘シーン

繊細とユーモアが共存していて楽しかった「ヨシタケシンスケ展かもしれない」

 当時息子が10代に入っていた。もしかしたら中学生になっていたかもしれない。ヨシタケシンスケの「りんごかもしれない」を夫が買ってきた。  三人で回し読み。もちろんあっという間に読み終えるのだけど、面白いから何周も。  それから他の絵本も何冊か買って、ヨシタケシンスケワールドの魅力を知る。  絵で人の動きの柔らかさが表れているのが、とても可愛いのに、内容はなかなか哲学的。大人も子供も「うーん」と考えてみたり、ヨシタケシンスケの発想に笑ってみたりする。その考えている内容が絵の可

心に生き続ける思い出は、たくさんあった方が良いなあ~葬送のフリーレン~

 漫画を気に入ると、何度も読んでしまって、「もうさすがに飽きてきた」と思わないとなかなか次に行けない。  食事もゲームも音楽もその傾向があるけど、漫画までそういう楽しみ方をするとは自分で思っていなかった。  なので「漫画読むの好き」と言ったところで、そんなにたくさんは読んでいない。有名どころも多くを読んでいない。  結婚してからは夫が「面白かったよー」と紹介してくれて、自分で好きそうなものを夫の本棚から選び、読み始める。最近はサブスクなのかな。ネットで読んでいるのかよく知らな

絵本で、小さな発見を積み重ねているのかもしれないな~「どろんこハリー」/「HARRY the Dirty Dog」~

 大好きだった絵本ならたくさんある。  今も大切に持っているものが数多く。大好きだったのに手放してしまい、大人になって買い直したものもある。息子に楽しんでほしくて買ったものの、息子はそれほどでもなく、結果的に私が楽しむためだけになったものも。  そんな風に改めて買うと、それはそれでその後手放せず本棚に並んでいる。  多くの絵本は大人になると内容を忘れていて、読み直すと「こんな場面あったなあ」と思い出したり、どこに心動いたかよくわからず「ここが気に入っていたのかな」と想像して

大笑いする楽しさを、生のライブで存分に

 リモートで友達と話していても、会って話した時の満足感とはちがう。  ささいな表情の変化を感じられるし、それに合わせてえらぶ言葉もなんとなく変化する。  話す時の息づかいやそれによる会話のタイミングなども、ほぼ無意識に感じているようだ。言いたいことを汲んで会話を続けても「あっそうじゃなくて」と笑いながら否定できるのも含めて、会って話す方が爽快で楽しく、お互いをよく感じられる。  ではテレビやパソコンの画面でライブを見るのと、目の前でライブを見るのと、何がちがうのだろう。  

過ぎるのが早い! ~2月のあれこれ~

 2月が終わってしまう。と思ったら3月になってしまった。と思ったらもう2日だ。  早いねーなんてありきたりなんだけど、その感覚をしみじみかみしめてしまう。早いんだよ本当に!  ここ数年、更年期のせいで身体も大変だったし心も不安定過ぎて、記憶がすごーくとぎれとぎれ。なので、今年はその月が終わるごとにちょっと振り返りの機会を作っておきたくて。  で、あやうく2月のことを書きそこねるところだった。  先月、大きな出来事は、検査で異常がなかったこと。ずっと心配だったのでホッと安心

唐突に、日常の風景が愛おしくなった~ブラッシュアップライフ~

 調べたらずいぶん前からけっこう観ていた。バカリズム脚本のドラマ。  夫も好きだからいっしょに観ているとそうなったのだろうか。シチュエーションコメディや映画も楽しんでいた。  中でも「架空OL日記」の脚本に、なんとなくバカリズムらしさを勝手に感じている。  存分に日常の空気感をかもし出す。特別な事件とか感動的な展開、衝撃がなくたって日常ってこんなもんだ。少し退屈になることもある。特に大画面で観ると。でもなんだろう。このテンポは他で見られない。皆の個性やあるあるならぬ「あり

びっくりしたけど応援しているー

 飛行機に乗っても機内モードでスマホが見れるようになった。  ちょっと前までは完全に電源を切っていないといけなかった。  そのもっともっと前。  イヤホンが配られ、ひじ掛けの側面に差込口があるのでそこにさすと、様々なチャンネルが聴けた。自分の聴きたいものがない時はあきらめるしかない。私は本を読んで飛行機の怖さを緩和させるのが常なのだけど、夫は当時、度々イヤホンをさして楽しんでいた。  ある日、イヤホンつけたままニヤニヤ笑っているので、「何なの」と聞くと、うかーと幸せそうな笑顔

みんな誰かでみんな私~人生が愛おしくなる「一心同体だった」~

 ずいぶん年上の人が「友達になりませんか」と言ってきたら断りにくい、って内容の記事だったかな。それを見た時に、年齢差以上に「えっ。友達になろう、って申し込んでそうなるの?」と疑問がわくのが、どうしても抑えられない。  だってその人にとっての「友達」と、言われた側の「友達」だってちがうかもしれないし。相手の雰囲気によってこちらの気の持ち方も変わるかもしれないし。  何度も「友達」について書いては、整理しきれず、自分の思う「いいところ」に落とし込めない。気持ちがまとまってない

子供のころから寂しさや不安てある~「ふくろうくん」から可愛いユーモアを感じて~

 「がまくんとかえるくん」で知られているアーノルド・ローベル展に行ってから、なつかしい絵本を引っ張り出してきた。   45年ほど手ばなせない絵本の中に「OWL AT HOME(ふくろうくん)」がある。  気に入った絵本は引っ越しの度に持ってきたので、残っているってつまり好きだったのだろう。実は「格別気に入っていた!」の気持ちは覚えていたものの、内容を覚えていなかった。色合いの暗さからも、息子に改めて日本語版を買って読むことはなかった。  今回、展覧会に行くと「ふくろうく

「がまくんとかえるくん」の絵本作家アーノルド・ローベルの人柄も感じた

 アーノルド・ローベルの絵本と出会ったのは6~7歳頃。  「がまくんとかえるくん」「ルシールはうま」「きりぎりすくん」「ふくろうくん」を何度も読んだ。  中でも「がまくんとかえるくん」の2冊と「ふくろうくん」はお気に入りでどうしても手放せないまま。  大学で英米児童文学を専攻した時、先生がアーノルド・ローベルの作品を紹介していて「有名なんだ!」と驚いた。ニュージャージーで読んだ本が当たり前に和訳されていて、そんな風にみんなが知っているなんて。  卒論は別の作家について書いた

描いた絵で「感じる」その人の思い、自分の気持ち~バンクシーって誰?展~

 もう少しミーハーな感じだと思っていた。社会派で流行りの画家さんだから。皮肉たっぷりで、きっと見ても「わかったから」「みんなちゃんと考えてるってば」って気持ちにならないかなってちょっと心配した。 ***  ニュージャージーに住んでいた頃、車でニューヨーク市に出かけては、近代美術館(MoMA)やメトロポリタン美術館に友人や夫と出かけたものだった。  私は絵や芸術が「わかる」側の人間ではないと思うのだけど、正解などないのだろうとだけは、多分わかっているので、観に行くのにまった

久しぶりのお笑いライブ~東京03~

 山里亮太の単独ライブ140に行ったり、漫才サミット(中川家、サンドウィッチマン、ナイツ)に行ったり、多くの芸人たちが一ネタずつするお笑いライブに行ったり、春風亭一之輔の落語を観に行ったり。  緊急事態宣言より前は、ちょくちょくどこかへ笑いに出かけていた。  東京03のライブも何年ぶりかな。  コントなのに、その日のノリでアドリブの間や盛り上がりがあったりするから面白い。  東京03のお笑いは、あははと笑えることとじわじわくることと両方あって、同時進行に楽しめるのが私は大

ただ生きるだけで良いと思えた~i(アイ)~

 2月半ばに読んで、その頃は世界がここまでのことになるなんて思っていなかった。  今はどうしても世の中の状況とつなげて考えたくなるし、それも当然な読み方になってしまう。読んでしばらく後、感想を書き「来週辺りに載せれると良いな」と思ったけど、タイミングを逸して数週間が経ってしまった。  あくまでもただの読書感想文として読んでいただけると幸いです。 ~~~~~~  西加奈子さんの作品には、「生きる」力強さをいつも感じさせられる。  訴えてくるものが強烈。奇妙な愛すべき人たちも