HSPに関して続き~困ることと、楽しいこと~

 明日載せる予定だったけど、いたたまれない気持ちになってしまいまして、本日二度目を載せます。

 前回書いてみながら、この特徴のピッタリしたところは、あらゆることに「圧倒される」ところが大きいのではないかと思った。その中でも感じ方は人それぞれで、どこが強く出るかも違うけれど、どの部分が強く出るにしても「圧倒されて」身動きできないことは多いのではないだろうか。

 相変わらず自分の場合でしか説明できないので恐縮ですが、例えば友達も3人以上になるとそれぞれの思惑のちょっとしたズレを感じて気を遣い、すごく面倒になったりして疲れるから、その辺は社会性がないと言えるんでしょう。でもこれもこの特性らしい。
 なので一対一がラク。私は元が人懐こい方だし好奇心も強いことでそれなりに友達はいるので、一対一であちこちでちょこちょこと会うということになります。

 女子校時代にグループがあったけど、私の場合は学校内だから成立していまして。卒業した途端、そのグループで集まるのが嫌になってしまった。できるだけ一対一で会うようにしていたけど、グループで集まることも時々あって、そんな時は話せなかった。一人ひとりの思いを感じて、それがお互いに同じような意見でも思惑が微妙に違うことも感じて、自分以外に4人いれば4人の思いで圧倒されてしまうんですね。そのうちそのグループの子たちとは一対一でも苦手になってしまいました。皆で集まっている時と一対一の時と、表現の仕方や言葉が違うことをいちいち感じるのが私にはストレスでして。この人、ここで言っていること、ここで見せる顔と、あの時と違う。言葉や感情、そういったことを強く感じてしまいます。それで段々疲れちゃいました。今でもそんなわけで、結局一人ひとりとの付き合いを大事にする。でも大事にしている付き合いはあちこちであるので、素敵な友達たちに恵まれています。

 あと大人になってからで言えば、息子の学校です。息子が児童館や幼稚園に通う頃は気楽でした。お互いの距離感をほどよくとれる関係と割り切って、尊重し合えている間は大丈夫。

 小学生の頃は、息子の特性で心配になったり、私が帰国子女が故に感じた辛さを思い出して息子の個性をどうしても大事にしたかったり、さらに高学年になるとちょっと学校が荒れてしまって、何度も足を運ばないといけなくなった。そこは息子のために頑張らなくてはいけないところで、スクールカウンセラーに話を聞いてもらいながらなんとか足を運んだ。さらに関西に住む学生時代の友人たちや遠くに引っ越してしまった友人たちに、メールで励ましてもらいながら、その日を頑張って学校に行くこともあった。たかだか参観日で後ろに立っているだけでもしんどい。

 ところが中学生以降。息子の周りの環境が良くなった途端、もう足が向かない。行く必要がないと感じているためだ。周りの友達が温かい。先生も熱意がある。だからまかせられるのだろうと思う。でも会いたい人たちが、息子が小学生の時より多いはずなのに、どうしてもの用事でないなら行きたくない。保護者会で皆の話を聞くのが、皆で集まって先生の話を聞くのが、ものすごく苦痛。色々な人の気持ちを同時に感じ取る。もう自分の感情が、意識と関係なく動くことに疲れてしまうのだ。だからなかなか行けない。

 以前、息子の学校行事としての音楽会のようなものに行ったことをここに書いたことがあるのだけど、あれ実は、ギリギリまで迷いに迷って、気合入れて行ってきました。そこに座っている保護者達の思いや、ステージに立つ子供たちの思いをいちいち全力で感じてしまってヘトヘトになるためです。

 これは意識的にコントロールできるものではないということも知ってもらいたい。精神論とか根性とかで何とかなるものでもない。良い意味での鈍感力を鍛えたいけどそうならないのだ。鍛えてそうなっているなら、とっくになっている。

 ああもう一つ、大きなことがあります。ごく簡単に書きますが、何かあった時に、影響がすごく大きいというところ。映画や本や、ネットなどでの情報ややり取りで強く感じたことは、何日も影響を受けてしまう。自分と関係のない情報などで動悸がしたり、映画や本だと、時には現実世界の中に入り込んできちゃって混乱し、恥をかきます。大人なのに。

 とは言っても、これと47年くらいの付き合いだし、全体に軽いので対処しながら暮らしている。だけど、自分の子供がこうだったらどうだろう。

 私の場合、子供の頃から周りには「考え過ぎ」「感じ過ぎ」「気にし過ぎ」「面倒くさい」「もっとサバサバいこう」「軽くいこう」などという言葉をかけられ、それはすべて私にとって自分を否定する作業へとつながり、その作業は負担で、その頃ますます自分の殻に閉じこもった。考えることが好きなのに。感じ過ぎるのはコントロールできることではないのに。気にし過ぎも良くない性格なんだ、変えたいけど気にしてしまうダメな私。サバサバいけていないのかな、私。重たいのか、面倒くさいんだな、私。
 自分を否定する作業をせっせと続けて、何とか取り繕うことを頑張ってしまいました。

 息子が生まれてから、自分の子供への愛情の表現の仕方と、母の私への表現の仕方が違ったことで、反抗期がそんな大人の頃になってやってきた。でもこれは後から考えると良かった。 
 大人になってからだったので、抜けるのに7~8年かかってしまいましたが。
 そこから徐々に徐々に行きつ戻りつしながら進み、今の関係を築いた。母と今でも考え方や意見の違いは当然ある。母も色々と思うところがあるだろう。言わないことも、線を引いているところもあるけれど、話したい時には楽しく話す。少しずつの積み重ねでようやく本物の信頼関係が出来上がってきたように思う。

 母が私を受け入れてくれたこと、私も母と「違うんだ」と実感できたことで、自分のHSPの部分も受け入れることができるようになった気がする。

 HSPで良かったことは、子供の思いを全力で感じてしまうこと。しんどい面もあるのかもしれないけど、子供にとって良い面も大いにあると信じている。人の心に寄り添えること。もう少しこれを生かしたく、更年期過ぎたら体がもう少し丈夫になると、これも信じ、元気になり始めたらやりたいことがある。

 あと一番良いことは、日常で何かと「感じる」ことが多くて楽しいこと。多分人より「楽しい」と感じることが多いので、周りで面白いことがたくさん起きるし、私の場合、楽しいこと、面白いことにもすごく敏感なために、笑えることに溢れている。

 kokokaku(斎藤 暁子)さんは、お子さんのために、と覚悟や強さ、勇気と責任感が伝わってくる。自分の子供に対して、向き合おうという努力は大変なものだと思う。色々な面で葛藤は強いものだろう。お子さんにきっとその強い思いは伝わるだろうから、ささやかながら応援したい。私に何ができるというわけでもないけれど、とりあえず、そういうタイプの人がけっこう世の中にいるのを認知してもらえるよう心より願っている。


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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。