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高校生の悩みを聴いてみて思った

 高校生息子が、最近時々話してくれる葛藤があります。
 少しずつ違うようで、中身はだいたいのところ同じ。

 中学生の頃の息子が、「勉強した方が良いとわかっているけど、やる気にならない」なんて、真剣に話してきた時には、なんだよそれと思ったけど、真剣に話してきたのだから真剣に受け答えしました。当時の彼は、いかにも思春期入りたての、その世界でカッコいいと思うような言葉を選び、内側に秘めた思いをイライラでぶつけ、よく険しい表情をしていました。機嫌の悪い時も多く、よく喋る息子が黙りこくっている時が多かったです。それでもその年ごろにしては話してくれたものでした。機嫌が良いと、一緒にフザけたし、共通の話題を探って一緒にゲームをしたり同じ漫画を読んだりして、私も世界が広がりました。お笑いだけはずっと好きなので、会話がなくてもお笑い芸人で笑って二人で真似していると、気持ちがほぐれたものです。

 高校生になって、相変わらずお笑い芸人のマネは競っています。映画に関しても、近くに映画館がないため車で連れていっているのも原因の一つだけど、息子が休みの日にあまり友人たちと会いたがらないタイプで、映画の話題には事欠かなくて楽しめています。

 最近、ごく稀に、友人たちとカラオケ行ったり焼き肉食べに行ったりすることがあるので、息子も自分の世界を築き楽しめるようになったとホッとしています。
 友人関係は良好で、親子関係も穏やかな方だと思います。
 息子は0歳代の頃から、周りの母親友達もちょっぴり引くほど、感情表現が激しくて大変な時期がとても長かったので、ようやく落ち着いた感じがあります。

 そんな中、頭が冴えて興奮状態の雰囲気を醸し出しながら、夜「眠れない」と訴えてきたのです。話し合う時間もすっかり減ってきたので、貴重な時間だと思って、少し眠くても付き合うチャンスだと考えました。


 これが長くて。

 しかも何度もあって。


 なかなか納得がいかないのだとわかっています。何故なら、答えは自分で見つけるものだからー。
 てな具合で、9割聞き役なのです。

 彼の名誉のために詳しくは書きませんが、その中の一部だけちょっと書いてみようと思いまして。なかなか興味深い問題提起だと思ったので。

 要するに「後悔したくない」といった非常に思春期らしい葛藤です。

 それに関しては、後悔がまったくないように生きるのは避けられないけれど、そのように思って生きるのは悪いことではないし、後悔があるから次につながっていくのではと伝えました。

 でも彼がそのように思うのは、今までの後悔がよぎって仕方ないからだと。そんな後悔とか言い出したら人間、後悔だらけですよね。とりあえず消化して納得して生きていけるようにしているわけで。

 息子の話の、興味深いのはその中身です。

 色々あるようですが、「そりゃあその時に戻ったところで、アナタの性格上、やっぱりそれをしないでしょうよ」だらけ。さらには言ったところでわからないだろう、自分で納得する答えを見つけるんだな、と思い、そんなスタンスで、特に意見しないで、ほう。ほう。なるほどね、受け止めたよその気持ち、と聞いていました。が、一つだけどうしてもと、口をはさみたくなってしまいました。


 それは、「僕は数学がこんなに得意(「こんなに」と言えるほど好きではあります)なんだから、小学生の頃から数学にまい進していれば、もっとすごかったかもしれない」といった内容です。


 よくある内容、葛藤ですね。


 我が家は、「あらゆる知的好奇心を刺激されてほしい」と、興味持ったものは何でも知ろう、楽しもう精神で子供に接しています。
 そりゃ息子が「これにしか興味を示さない」ならそれにまかせます。とにかく色々提示はしても、激しい性格でしたから、少しでもイヤだと思ったことは全力で抵抗します。習い事でも、親がさせるとか、親の気持ちでさせてはいけないとかじゃなく、とにかく「やりたくないことはやらない」。ちょっとした駄々コネの域を超えた抵抗なので、これは目の前で見ないとわかっていただけないかと。

 「親にやらされている」「やりたいわけじゃない」と打ち明けてくれた子や、「私がやらせてる」と自覚のある親御さんの話を聞く度、「そうは言っても何とかできちゃう子なんだよなあ」と、少々羨ましくなります。

 それでも私はこんな息子で良かったと思っています。自分がコントロールできるものが一切なく、割と早い段階であきらめちゃいました。それは、「私と息子は同じ目に遭っても、感じる気持ちが違う」と、早い段階で気づかされたからです。私のようなタイプの人間に、息子は身を持って教えてくれたのです。「僕はそうは思わない!」「僕はそれをしたくない!」「僕はこれでかまわない!」「僕はお母さんと違う!」。

 息子がよく似ている夫に関しても少し話しましょう。


 彼は自分の仕事の専門がありますが、それ以外の全然関係のない分野に好奇心を持っていて、サブカル的な話が大好き。お笑い、漫画、映画、ゲーム、雑誌、音楽、プロレス、あらゆるジャンルの本、絵本を楽しみ、暮らしの中で接するもの、心を刺激し得るものがあるのなら、笑いであろうが芸術であろうが遊びであろうが、すべてが教養で心豊かにするものだと昔から息子に言って聞かせてきています。
 何でも得るものがあるように、お笑いでも芸人さんたちの人柄や面白さを、家族で分析したりして楽しみます。もちろん夫も好みに偏りがあって、どの分野でもすべてを網羅できるはずがありません。私は好奇心だけは旺盛なので、夫の持っている物を勝手に手に取って読んだり楽しんだりしているのですが、すぐ忘れていっちゃうので、あまり身にならず。
 とにかくそんな家庭環境で息子は育ちました。


 確かに息子は幼少期から、数字に執着を見せていたので、わかってはいました。文字を覚えた当初も数字の方が先行していたし、数字を覚えたと同時に計算に興味があったみたいで。でも世の中色々言われるじゃないですか。

 しつけの話の時も書きましたが、息子はしつける以前の問題が大変で、それどころじゃありませんでした。とにかく気持ちを言葉で表現できるようになってくれと、何はともあれ切実にそれを願って育ててきました。あらゆるものに対する興味を推奨するのと気持ちの表現を、しつけより重視してきたのです。
 それによって遅れたものは山のようにあり、親としての後悔も山のようにあります。

 息子は、中学生の頃、時々それを言っていたのです。

 例えばもっと普通に育ちたかっただの。
 今回は「数学にまい進したかった」だの。に変わりましたが。


 中学生の頃に言い出した「普通」に育ちたかった、については、何度も話し合いました。そして最終的に自分の納得する答えを出して「僕はこれで良い」と言えるまでになりました。


 ただ今回の数学についてだけは母さんから言いたいよ。
 小学生の頃の息子が化学や物理にのめり込んだ話をし、それがいかに豊かであるかを話しました。

 「でもその時間を数学に使ったら……」と、彼は論破することに必死。論破したい年頃なので、論破に命をかけていると言って良いくらいです。わかるけど。でもそれだけは論破されてあげない。
 そうだったかもしれないね、ごめんね。他のことはそう言っていったん引き下がります。
 でもこれは違う。譲ってあげれば良かったのかもしれないけれど……。
 
 息子の知っている著名な人たち、なんなら息子が面白いと知っているお笑い芸人までをも挙げて、彼ら彼女らの紆余曲折を話しました。それはほぼ息子も知っているはずの内容です。息子も尊敬の念を持っている人たち、とわかっているので。それを改めて話し、そこに至るまでの全然分野の違ったことは無駄だったと思うのかと。彼らが何故今あのようにしっかりとした足取りで立って歩いているのかと。

 他に一時、息子は天文にもハマっていましたが、どちらかと言えば、学校外のクラブ仲間ができたのが嬉しかったようでした。それも、中学受験をする意志を自分で持ち始めたきっかけで、学校で浮きがちだった彼を支えたものでした。その時間を数学にあてれば良かった?

 私はそんな風に思えません。

 「ああなるほど!」となったわけじゃなかったけど、それを提示したことで、息子なりに思いを馳せているような表情をし、考えたようでした

 私は息子に関しては、小学生時代に化学や物理にのめり込んだこと、多分将来につながると信じています。周りと比べたところで、そんなに特別優れているわけじゃないけど、興味を持って得た様々なもの

 この先、何になるのか知らないし、息子自身どうしたいのかすごく迷っているけれど、今までのこと、きっと彼の頭に残っています。
 
 息子の人生が、より豊かなものであるように、私は願っています。そしてそれは心の話だと、息子がわかる日はそう遠くなさそうです。


#エッセイ #高校生 #息子 #悩み #葛藤 #後悔

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。