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私にとって特性(HSP)を名乗る意味~自分を大切にできてからの、その先に~

 生まれ持った特性、気質をカテゴライズする名称は、私が子供の頃は今ほど細かく分かれてはいなかった。

 自分に、或いは自分の子供に名前の付く特性があるとわかったところで事実は変わらない。
 名前があってもなくても個性なのだから意味はないと思う人もいるだろう。
 そんな風に達観できていたら良いけれど、むしろ知ってショックを受けたり、名乗ると周りの目が変わってしまうから隠しておきたいと思ったりする人だっているだろう。

 そしてホッとする人も。
 ホッとするのは、他にもそういう特性を持っている仲間がいるんだなと孤独感から解放されるから。「直らなくて」「人のアドバイスに応えられない」と苦しまなくて良くなるから。受け入れて対処する生き方を自分で模索するよう方針転換できるから。

 私もその一人。特性は「HSP(highly sensitive person)」。
 臆せず言うようになったのには、理由がある。

 HSPの特徴は「DOES」と表記できる。
 Dは、depthで、深く分析する能力。
 Oはoverstimulationで、過剰な刺激により、周りにすぐ圧倒される。
 Eはempathyで他者の気持ちを感じ取る。
 Sはsubtletiesで、ささいなことへの気づき。

 HSP提唱者のアーロン博士は、4つとも当てはまる人がHSPなのだと定義している。1つでも当てはまらないなら性格的に「内向的な人」の可能性が高くなるそうだ。
 「D」「O」「E」「S」それぞれに特徴についての説明が5~8項目、全部で20~30項目あるものが本やネットで見られる。

 例えば「D」の「深く分析する能力」について「そんなカッコの良いものは私にはない」と思い込んでしまう前に知ってほしい。それは「場の空気を読み過ぎる」点であったり、「相手の言葉の中に多くの意味を考え過ぎる」点であったりだそうだ。なので安易に謙遜したり遠慮したりせず、気になる方は調べてみよう。
 暮らしぶりは大雑把で考え方は合理的、行動はがさつな私だけど、どのチェック項目でも9割が当てはまる。

 HSPは、他人からの競争意識を感じるのが苦手。私の場合はそれがストレス過ぎて、避けるためなら何でもしちゃうところがある。それで時に人を傷つけてしまい、本末転倒じゃないかと自分を責める羽目になる。
 相手の気持ちや考えを先回りして動いてしまい、その行動自体を謎に思われる。ただの取り越し苦労もあるので「ちゃんと考えてよ」とか言われちゃう。
 遠い出来事、些細な物事が大きく思えて、圧倒されやすい。痛みにも敏感だそうで、大げさだと言われる所以なのだろう。びっくり仰天もしやすい。音など感覚的に敏感な分野があって幾つになっても怖がってしまう。
 他人の心の声が気になるだけでなく、自分のものまで頭の中でうるさくて時々それに苦しむ。人の表情や言葉のニュアンスを後からいくらでも反省してしまう。誰かが悲しんでいると寄り添い過ぎてしまう。誰かが他の人に怒っている場面を見ると自分が怒られている気持ちになる。

 以前はHSPに関しての認識がなかったために、なくなれば良いのにと苦しみ、変えたいと努力してきた。でも変わらない。変わらないためにダメ出しを繰り返し、自己嫌悪だとか自己否定が激しくなりもっと苦しむ。「私たちってダメな人間でしょう?」「こんな部分、変えた方が良いよね」と、うっとうしい自分にまた嫌気がさす。このループにハマっていた。

 だけど本当は、環境や周りの接し方と関係なく生まれ持った「気質」なので、克服しようと努力で変えられるものではない。それを自分が受け入れられるかどうかだ。

 体質で考えてみるとよくわかる。慣れや努力で改善しフォローできるものもあるけど、受け入れなければならないものもある。
 それを自分で受け入れられるようになったら他人に伝えるだろう。他人に伝えるのは勇気が要るものもあるけど、伝えると相手の反応はどんなものであれ、返ってくる。
 もって生まれた飲食の嗜好だとどうだろう。「コーヒー苦手なんで」って誰かが言った時に「いやコーヒーも美味しいから飲みなさいって。まだ慣れてないだけよ」って押し付けるだろうか。「じゃあ紅茶にする? それとも違う飲み物が飲みたい?」って聞くのが当たり前のやり取りではないだろうか。
 それって面倒くさいのかしら。体質や好き嫌いだと、それに合わせて接するようになるのに、気質になると途端に面倒くさがられてしまう。

 「HSPって面倒くさい」って時々ネットで見かけるけど、HSPの私たちからしたら「HSPじゃないって気楽そー」って羨ましく思いそうになる。
 でも本当はそうじゃあない。

 HSPとそうじゃない人の間には当然グラデーションがあって、多くの人はどちらかの成分を自分のどこかに持っている。
 HSPじゃないと自分で思っている人にだって葛藤はあるし、日常生活の中に心の中に抱えているものや、思い出すのもいやな過去もあるだろう。細やかな気遣いにあふれた人もたくさんいる。

 一人ひとりが違うものを「自分がそこを気にしないから」って周りに同じように感じろ、気にしないようにしろと強要するのは乱暴じゃないだろうか。それならHSPだって「私はそこを気にするから」ってみんなに強要しても良いことになる。
 あなたはそういうタイプの人。私はこういうタイプの人。で良いんだよ。

 HSPは、自分と似た部分が強い人に囲まれて暮らしていたいと願っているわけではいない。むしろHSPをあまり感じない人も周りに必要。非HSPで気持ちが比較的フラットな人や考え過ぎだよと笑い飛ばしてくれる人が身近にいると安心する。そしてHSPが友人や知り合いにいると心強い。
 気が合うのなら、どちらのタイプかは関係なくて、大好きで大切な人。

***

 自分がHSPだと知ったのは、4年ほど前。
 noteを始めたのは3年ちょっと前なので、HSPだと自覚してから割と間もなかった。
 その頃は学生時代からの親しい友人に「私、こうみたいなんだけど、アナタはどうお?」と打ち明ける程度。長い付き合いだと、今さら自分への見方が変わる心配がなかったので。でも互いに知ったところでそれについて話すものではない気がして、そっとしていた。

 だからnoteで打ち明けた時に、こんなこと書いてどうなるのか、被害者面するなと思われるんじゃないか、怖くてすぐに記事を下げたくなった。
 それで良いんだよ、そんな風に考える部分こそがHSPなんだよと、応援し支えて下さる方がいたために、何とか削除せずにこらえた。
 当時は「こんな部分があるので申し訳ないけど、もう少し葛藤を重ねさせて下さい。いつか直したいです」と、自分を弁解したい気持ちも強かった。
 こんな部分、なくなっちゃえば良い。
 なるべく我慢して人前で出さないようにしたい。変わらなくては。

 でも書く度、「私もそうみたいです」と打ち明けてくれる人が少しずつ現れた。コメント欄で。或いはその人のコメント欄で言葉を交わしていると。そうやってちょこちょこ仲間がいると知る。
 又、「なーんだ。私は違ったけど、かせみさんがそうだとわかったら誤解がなくなりました」「接しやすくなりました」と書いてくる非HSPの方もいらした。

 「自分がHSPだと打ち明けると、気の合う人を見つけやすくなる」「自分がHSPだと発信すると、気がラクになる人が他にいる」と少しずつ知っていった。

 そこで、以前から気に入っているのに仲良くなりきれなかった友人にも話してみた。
 すると「すごく思い当たる」と言う。パニック発作があると話していた彼女から、発達障害の自覚もあるのだと打ち明けられた。精神的に多くのものを抱えながらHSPでもあるのだと知ると、それまで何故仲良くなりきれなかったかも理解できていっそう話しやすくなった。

 会うと「こういうところだよね」と互いに指摘し合うようになった。話の内容や考え方、過剰に気遣った行動。
 自分では細かいイヤな特性だと思っていたから、あえて気遣いを見せないようにしたり、自嘲気味に笑ったりするのだけど、あふれ出てしまう彼女のそんな部分を可愛らしく思った。
 自分とは違うところで気にするとわかると、そこも気になるんだね、と笑い合う。似た部分だと、そんなところに引っかかるのわかるよ、気にし過ぎかな、可笑しいね私たち。と笑い合う。
 その時間、その瞬間の一つ一つが、笑いながら涙が出るほどに愛おしく感じるようになった。

 互いに「わかるよ」と受け入れ合えた時。
 気にし過ぎて直したいと思っていた部分が、優しく大切に守りたい部分に変わっていった。

 HSPには良いところだってたくさんある。

 誰かが喜んでいると幸せな気持ちでいっぱいになるほど嬉しい。誰かが楽しいと一緒に笑えてくる。その表情を見て気持ちが満たされる。無表情に見える相手のちょっとした感情の動きに気付ける。映画や本や漫画に触れると、入り込んで現実世界になかなか戻って来れないくらいに心が揺さぶられる。感じ取るものが深く味わえる。
 「感じる心」は大切な宝物。

 ダメ出しばかりして自分をどんどん嫌いになって、それがストレスになってきても我慢して自分を抑えていた。
 40年以上。
 それが限界を超えそうになると突然ガシャンとシャッターを閉めるように人付き合いをやめていた私にとって、HSPの部分を受け入れるのは、大きな変化となった。

 自分を許し受け入れると、人を信じられるようになる。
 人に話して良いんだ。我慢して抑え、隠そうとしなくて良い。
 代わりに得られたのは、多くの人の温かい気持ちや言葉と、新しいコミュニティ。私自身のコミュニケーションの仕方の変化。
 名前のある特性を、自分の個性として伝えておくのは、互いのコミュニケーションをスムーズにするヒントにもなる。

 「私、HSPなんで」って軽く言えるような世の中になったら良いなあ。食べ物の好き嫌いみたいに軽く。自分の特徴の一つとして。

 そう願って、私は心を許したい相手や許される場なら軽く伝えるようにしている。言った後の相手の表情や態度で、自分のそういう部分をどの程度出すか、考えるのもまたHSPの良さ。
 打ち明けて相手の態度で傷ついてしまったのなら、仲間のところに戻れば良いよ。声を上げて探せばけっこういるからね。


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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。