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恥ずかしいから、遠巻きでいいの

 皆さん、どなたかのファンという経験は一度はあるだろう。
 私は遠い存在ならあれやこれや気が多い。今はMCU(マーベルシネマティックユニバース)のキャラクターや俳優が演じるその役柄、お笑い芸人やミュージシャン、漫画のキャラクターなど。

 「など」。

 でも誰かのファンだとか推しだとか言ってみても、私にとっては特別強くて深い思いがあるのかと考えてみるとそうでもないのかもしれない。特別な思いは家族や友人で使い果たし、遠い存在って、ワクワクやときめきを楽しむ感じかしら。
 「より多く知っている」が基準なのだとしたら、私はそこから外れているだろうし。そして外れていたって、堂々とファンだったり推しだったり言って良いと思っているけどね!

 グッズ買える店とかライブ会場なんかに行くと気持ちは日常では考えられないほどに高揚する。そりゃあもう異様なテンションになっている。
 内心。

 そう。
 内心。

 うおおー!! とかキャー!! とかならない。
 いや内心はなっている。
 内心よ。
 声は「うわあ」とか「おお」とか半径2メートルくらいに聞こえる程度にしか出ない。
 多分表情もニヤ―くらいで、爆発的な笑顔になっているわけではない。

 目の前で泣いたり笑ったり、声出せる人って、上手に感情を発散できるんだろうなあ。
 そういう人に対して「感情表現がとっさに出るのね」と思うし、そうはならない私みたいなタイプの人に対しても「そうはならないのね」と思う。
 どちらもそれぞれに良いも悪いもない。

 だって私、スポーツ観戦なら大声が出る。
 きっとこっち側向いているわけじゃないからなんだろう。
 私など見られているわけじゃないと思っても意識過剰なのだ。

 表に出る動きがあるなら「オドオドする」。
 手は振れる。とっさに振ってしまう。でも声は出ない。そして振ったからどうというわけでもない。やっぱりオドオドしている。

 この挙動不審ぷりは本当にどうにかならないものだろうか。

 息子が生まれる前だから20年以上前。
 夫が将棋好きで、よく対局を観に行った。対局と言っても、対局をしているところの解説。大盤をこちらに向けて、対局のなりゆききを、ちがう場所からライブカメラでうかがう。
 将棋はルールを知っている程度だけど、実力ある有名な棋士が予想したり、たった今の手を解説したりしてくれるので、好奇心で楽しむ。
 
 ある時。解説されていると眠くなってきてしまい白目をむきながら夫と並んですわっていた。次の一手の予想クイズが対局中、一度くらいはあって、当たるとそこで棋士の扇子だとかちょっとしたグッズをもらえたりする。
 で、適当に良さそうな一手を書いて出したら、当たってしまった。

 羽生世代の私たち。棋士ファンは少なくはなかったものの、大盤解説を観に来る若い女性は当時あまりいなかった。だから私は少し浮いていたし、眠そうに白目むいていたため、壇上からよく見えただろう。
 なのに適当に書いた予想が当たってしまい、恐縮するんだってば。
 当たった人が少ないため抽選もなく、必然的に私にグッズが手渡されることに。壇上に招かれてしまった。
 当たらなかった夫が横で「お。良いね! 行っといで」とつついてくれる。

 ところが恐縮していただけのはずなのに、私はあからさまに挙動不審になった。壇上で皆が見ている中、有名棋士を目の前にどうしてもオドオドもじもじしながらこわばった顔でエヘエヘ笑ってしまう。年輩のその方は「こういう物はよくわかっている人に渡ってほしい」とちょっぴり皮肉を言ってらした。ごめんなさい。でも夫はすごく将棋好きだから許して!
 夫にも「かせみどんて、あんな風になるんだ」と当時ニヤニヤされた。

 この前、春風亭一之輔の写真を出してきた時に思い出したのだ。

 目の前だときっと挙動不審で顔がこわばって喉もしまって声出ないから。と、夫と息子が並ぶのを良いことに写真係に徹したなあって。
 声はかけたり笑ったりしたけど、横でちょっと離れて、息子に向けていたから平気だったのだ。

 だから東京03のライブでも、毎回終わって握手会とかあるけど、絶対並ばない。

 あと行ってもいない、MCUの俳優たちが来るコミコン。チケット代が高いとかだけじゃない。もし安くて写真の権利あったところで私は2週間くらい前から眠れなくなって、当日も自分の心臓の音しか聞こえないだろうからもう近づかない。もったいないと言われてもすんごい遠巻きで良いの。
 マイケル・ルーカ―が来ようが、マーク・ラファロやポール・ラッドやクラーク・グレッグが来ようが、私は遠巻きで良い!

 コミコンねぇ。いつか行きたいなあ。

 私は遠巻きに静かに、ファンや推しを応援する。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。