案外、人見知りじゃないかもしれないよ~HSPであったとしても~
厳密に「人見知り」って何だ?
30超えた頃、自分を「人見知り」って言うのが段々恥ずかしくなってきた。私の場合は、それを盾にしているみたいで。
妊娠して、親となるための区の教室に出た時、何人か友達ができて、互いに「私、人見知りで」と紹介し合った。
そして互いに「えええ。人見知りには見えないよ」と言い合った。
「私は本当に‘人見知り’なんだろうか?」「人見知りって何だろう?」「どうしてみんな人見知りって自称するんだろう」と疑う気持ちが芽生えた。
子供ができてから、積極的に知り合いを作り、今の土地に住んでからもアパート内で子育てサークルを立ち上げて、人見知りだの言っていられなくなった。仲間がいないと、孤立してしまう。子育てを親だけではできない。
ある日。
テレビ番組で「人見知り芸人」を企画し集まったお笑い芸人たちが話していた。
その中で、オードリー若林が「さまぁ~ず三村さんに‘大人なのによ!’ってツッコミ入れられた」と言っていて笑った。
夫と一緒に「ホントだよ~。大人なのによ! だよね」って笑いながら、あれ? 私いつの間に自分を「人見知りではない」って思っているんだろう。いつの間にか克服したんじゃないか。と気づいた。
「人見知り」を調べてみたら
(子供などが)見なれない人を見て・嫌う(はにかむ)こと。
初対面の人に対して極端にはじらう成人の性質についても言う。
と、みんな大好き「新明解 国語辞典第四版」(三省堂)に書いてある。(※念のために簡単に解説。「新明解 国語辞典」には、意味の説明とその例文には、辞典にあるまじき個人的な偏りや、そこに表れるユーモアで、大いに笑わされる)
対義語は、皆さんそれぞれ言葉のイメージがあるだろうから、もしかしたら人によって違うかもしれない。
私にとっては「人なつこい」。
「馴れ馴れしい」とか「すり寄ってくる」と書かれてあるものもあるけど、人見知りではない人が、馴れ馴れしいわけでもすり寄っていくわけでもないだろうし。
個人的には、人見知りってマイナスのイメージでもプラスのイメージでもない。
私は HSP(highly sensitive person)ではある。
HSPは人間関係で疲れやすい人が多い。
HSPには、人見知りが多い。
でも人間関係で疲れやすい人が、全員人見知りなわけでもない。
さて。そういったことを前提にして、自分が人見知りかどうか振り返ってみると、人見知りではない。HSPだし、人間関係で疲れやすい。賑やかな場所ややり取り、社交的な振る舞いは苦手。一人の時間の方が人といるより大事。
でも人見知りではない。
すっごくもじもじしやすいし、雑談も疲れやすく、話を広げるのは苦手。会話の運びに気遣いを強要されるムードも苦手。場を盛り上げたり、皆を引っ張ったり、まとめたりするタイプでもない。
でも人見知りではない。
もし黙っていても良いなら黙っていたい。ただ話を聞いて笑っているだけで良いならそれもラク。
でも人見知りではない。
私は、人なつこい人間だ。
HSPで、人付き合いが上手ではなくても、人なつこい人間はいるのだ。
何故人なつこいと思えるのか。
初対面の人に話しかけるのに、全然抵抗がないからだ。話しかけられるのも、自分からの質問も平気。
自分が気になったなら、その人を知りたい。
自分の考えや意見が湧いてきたら、言葉にして伝えたい。ちょっとピント外れでも、そういう時の空気は、あえて読まない。笑うのが好きだし、人の笑顔も好きだから、笑い笑ってもらうためなら、多少は自分を捨てる。
若い頃は、確かに自分を人見知りだと思っていた。
でも「あれ? 人見知りとはちょっと違うんじゃないか」と気づいたのは、世間の「人見知り」の概念を知ってからだ。
HSPの中には、人見知りの人もいれば人なつこい人はいるだろう。
自分を決めつけてしまわずに、恥ずかしがりは「シャイ」。社交の場が疲れる人は「疲れやすい」「大勢のつきあいが苦手」。それだけで良いのだよ。
HSPは克服できない。
でも人見知りは克服できるし、勘違いもある。もちろん、それほど不自由していなければ、克服しなくても良い。
そしてHSPと人なつこいは、共存する!
自分を狭めてしまわないように。簡単に「人見知り」って言葉を自分に使わなくても。
よくよく自分を見つめ返せば、意外と自分が人見知りではないと気付く人もいるんじゃないだろうか。
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。