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自分にとって大事と思える物

 「実家に置いてある自分の物」を思い出してみていた。

 ニュージャージーへと旅立ったのが、27年前の24歳の時。
 仕事で地道に貯めたお金で。どうしても幼少期育った場所で暮らしたかった。私の基盤ができた場所。自分の心がちゃんと自分の身体の近くにある感覚。
 そしてそこで夫と出会い、結婚して暮らし始めた。
 帰国してからは札幌に住み。さらに今は東北地方。
 つまりそうやって、24歳以降は一度も中学生以降育った関西の家で暮らすことはなく、今に至っている。

 両親は昨年、マンションに引っ越し、35年以上暮らした家を手放した。祖母が亡くなって、家の中を整理する作業はそれはそれは大変だったようだ。「未使用の化粧品とか着ていない服とか、おばあちゃんたくさんためこんでたのよ」「使ってないのに置いてあっただけの物がいっぱい」「死んじゃったら物はただ物として残る」と、何度も嘆いていた。私たちはどんなに物を持ったって、それをあの世には持っていけない。

 引っ越しが決まってからは、その作業はペースアップし、私が家に残していた物もほとんど処分したはず。こっぱずかしい日記なんかもね。

 ただアルバムだけは私が欲しがったので送ってくれた。

 めくりながら思い出がよみがえる。
 小学生の頃は、帰国してからずっと自分を押し込めるようにしていたし、入った学校からさらに転校して、そこでいじめられた。その気持ちを覚えているからか私の表情が楽しそうでなく、カラーなのに白黒に見えてしまう。
 中学高校の頃は、楽しかったはずなのに、卒業後に上手くいかなくなった友人関係やけっきょく当時から抑えていた自分を思ってイヤな気分になってしまった。
 その後、久しぶりにニュージャージーで暮らした頃の写真は、急な自分の心の変化に明らかに戸惑っているので、どうにも青くさい。楽しそうだけど見るのが気恥ずかしい。

 置き場所をどうしようと思ったけど、祖父母のように「ただ置いてある物だらけ」にしないよう、私はせめて使う物と大事だと思える物にしたい。
 なのでその写真たちは、一番楽しそうで愛おしく感じたニュージャージーでの暮らしが詰まった3冊をそのままに。その他の分厚いアルバム6~7冊は、小さな菓子箱サイズの物に3つにおさめた。

 そんな風にして一冊一冊を見ている時に、私の結婚式のころのアルバムが混じっていると気づいた。

 ええと。
 結婚式前後からのアルバムって、自分で持っているはずだ。
 めくっていくと、そのうち父と母の写真が続き、どうやら両親が私の挙式とニューヨーク旅行を撮ったものとわかった。つまり両親が自分たちのために作ったアルバム。
 たくさん送っているうちにまぎれたみたい。

 でもこれ、私が持っててもしょうがないんだけど。
 と話すと、両親宅には私が赤ちゃんの頃のアルバムがまだ残っていて送っていないと言う。

 今度、春に行く時に交換しようね。

 と昨年言ってこの春、訪れる時に持って行くのを忘れ、両親もそのアルバムを手渡すのを忘れていた。

 そのため、私が赤ちゃんの頃の写真がまだ実家にある。実家と言っても生家ではないし、結婚前まで暮らした家でもないけれど。でも残っている私の物はそのくらいなんじゃないだろうか。

 次こそ両親宅を訪れた時にしよう。と互いに思ったまま、互いのアルバムを持っている。
 いや持っていても仕方ないし、大きな物だから、そのうちに送り合う? だって身の回りに持つなら、自分にとって大切な物が良いものね。

 赤ちゃんのころの写真は私にとっては親の視線を感じられる大切な物なので、引き取ったら当分は持っておくつもり。
 


メディアパルさんの企画に参加しています。
「#実家にある私のもの」を書いてみました。昨年、両親が引っ越してたくさんの物を手放したので、数少ない中でエピソードを思いついたのがアルバムでしたが、聞けば他にもあるのかもしれません。
両親が祖父母の物を整理し、感じた言葉の数々は私の心に残っているので、まずはそのうちの一つについて書いてみました。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。