見出し画像

相手を知ることで、差別意識を減らせる

 「差別」と言っても全然難しい話ではない。

 20年以上前に住んでいたニュージャージーでの、なかなか強烈な体験から。

 何度か住んだニュージャージー。地域によっては黒人が多い。
 夫が勤めていた地域は、周りのアパートの窓に鉄格子がついていたような所。

 窓に鉄格子……。

 わかるでしょうか。犯罪から身を守ることが必要な場所という意味ですね。

 夫の職場は広いので居合わせたわけではなかったが、同じ建物内でホールドアップがあったという。

 だいたい仕事が終わって迎えに行く平均時間は夜、10時半頃。職場の駐車場付近に人通りが少なくはなかったけれど、車の中で待つのはとても怖かった。そして夫が建物から出てきて車に乗り込むまでの少しの距離でさえ、毎日毎日ドキドキして慣れずにいたものだった。


 私にとってバスでの思い出が強烈だ。

 その辺りのバスは(アメリカ全土でどうだかは知らないですが)、両替もできなければお釣りも出ない。つまり、バスの中に客自身が持っているお金以外は一切置かない。毎回乗る時は、帰りのことも考えて、私の距離的には当時2ドルだったか、とにかく細かい金額が必要だった。(※肝心の金額を覚えていないので、ここから先は、とりあえず2ドルということで話を進めていきます)必要……。本当に文字通り「必ず」「要る」もの。その額きっちりを持っていないと、乗せてもらえない。

 その日、ニューヨークからニュージャージーには着いたものの、そこからまったく違う方面に走り出してしまっていました。行き先が違うバスに乗ってしまったんです。気が付いてから慌てて下りたら、それはもう……。
 何と言いますかもう……。
 場所の雰囲気がもう……。
 とにかくもう……。

 完全に、下りる場所を間違えた。


 明らかに治安が悪そうな場所で、目の前に廃墟となったビルがある。映画の撮影場所かっていうくらいの。あちこちの壁が壊れ、窓ガラスが割れてボロボロ。サッと見回して殺伐とした光景。反対側の道路にガソリンスタンドがあることは救いのようで救いでない。車通りは少なく、歩いている人はもちろんおらず、ガソリンスタンドの店員は奇妙なものを見る目つきでこちらの様子をジロジロと伺っている。
 早く反対側のバス来てくれ!! 
 必死で願って、ようやく来たバスに「○○行きか」と確認すると、ホッとして乗り込んだ。しかし財布を見ると、肝心の2ドルがない。「20ドル札しかない」と運転手に訴えると「そんなこと言われても」「2ドルじゃないと受け付けられない」と言う。
 「両替は?」
 無駄と思いながら聞いても「ないよ」と素っ気ない。でもバスを発車させている。「じゃあどうすれば良いの」と聞くと「他の客に聞きな」と言われる。

 25歳の私。

 大試練がやってきた。

 バスに乗っている人たちを見まわすと、若い人から高齢の方たちまでざっと10人ほど。見たところ、黒人かヒスパニック系の人たち。皆が、私たちの大きな声でのやり取りを聞いていたのはわかっていたけれど、「両替ありますか」と20ドル紙幣を見せながら歩いて回るのは、屈辱以外の何ものでもない。……と言いたいところだが、屈辱と共に強く湧いていたのは恐怖心。

 20ドル紙幣も、外に出る時、必ず持っていなければいけない一枚。何故かと言えば、万が一ホールドアップにあった時、怖い思いをした時、脅迫があった時に、命を差し出す羽目にならないために、サッと出せるために、持っておかなければいけないからだ。
 何だか改めて書くと大げさなようだけど、20ドル紙幣をすぐ出せるように持ち歩くのは常識なのだ。

 そんな20ドル紙幣を、黒人やヒスパニック系の人にひらひら見せながら、バスの中を歩く。
 怖くてたまらなかった。
 もうずっとバスを降りれないかもしれないとか、どこでおろされてしまうんだろうとか多少は頭をかすめたけど、目の前の恐怖と屈辱の方が強くて、それどころではなかった。
 皆が手を「ないよ」てな風に振ったり「NO」と言ったりして、目線を合わさなくなっていく。

 すると、突然黒人の青年が、2ドルを渡してきた。意味がわからなかった。「いや、私は20ドル紙幣だから」と言うと、あげるよと言う。「いや、でも……」とためらっていると、手であげるあげるとジェスチャー(日本で言えば「シッシッあっち行け」というような手の動かし方)しながら、「あげるから」と仏頂面で段々目も合わせてくれなくなっていった。

 「あなた、よっぽど哀れに見えたのよ」
 後に日本人の知り合いに話すと、大笑いされた。

 あの時ほど、感謝の気持ちを言葉でうまく表せない自分の表現力、語彙力を恨んだことはない。
 貧しそうな街で乗っていた、貧しそうな身なりの黒人の、痩せて強面のお兄さんが、20ドルを受け取ることもなく2ドルをただ「くれた」のだ。

 自分の中に差別感情があると、自覚した。
 そんな自分の感情も乗客の皆に見透かされた気持ちがして、そして恥ずかしさもあって、下りるまで私は奥の席で小さくなっていた。お兄さんは自分が下りる所でさっさと下りて行ってしまった。奥の席に座っていたにしても、何も言えなかった。

 この体験があってから、「私には差別感情はない」と言えなくなった。どれだけ言っても、あの場で感じた私の恐怖心は、「こういう人たちに20ドル紙幣を見せつけて大丈夫なのだろうか」と思う差別感情に他ならなかったからだ。そして差別感情は恐怖心につながりやすいと気が付いた。声高に人を差別する人は、その恐怖心を拭うために、相手を攻撃したくなるのではないだろうか。

 差別感情は不安な気持ちや恐怖心を生むし、不安感や恐怖心は、差別感情をさらに大きくする。

 気持ちの隔たりを少しでも減らすには、お互いを認め合おうと、「心がけ」なければならない。わき上がりそうになるものは、自然な感情だ。でもその感情に支配されては、お互いを理解できなくなるだろう。

 どうやったら減らせるのかは、様々な立場にいる個人個人の知り合いを作っていくことだと私は思っている。その人を知ることはその人の背景を知ること。文化を知ること。それによって不安感や恐怖心は減らしていける。

 みんな無理してでも仲良く、だなんて思っていない。相手を好きではないとか苦手とか嫌いだとか、ネガティブな感情が起きても、距離を取るだけで良いものを、不安が混じると相手を攻撃する対象になり得る。

 お互いを知ろうとすることは、差別意識を減らすきっかけとなるだろう。

 身近なところで言えば、ここnoteでも、色々な立場の人が書いている。お互いの住んでいる場所だけでなく、成育環境や住環境、立場、年齢や性別の違う人たちがいる。
 「私はそうではない」「私はそういう環境にいない」「私はそうは思わない」と違いがあっても、そういった気持ちを超えて、知り合える機会があるのは恵まれているなあとしみじみする。

 これからも皆さんの色々を知るのを、楽しみにしています。

#エッセイ #差別意識 #お互いを知る  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。