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対岸の空海             第1回 再度山と山岳信仰

川瀬流水です。今年は、弘法大師空海(774~835年)の生誕1250年にあたります。
 
これを記念して、奈良国立博物館で特別展 「空海 KUKAI-密教のルーツとマンダラ世界」(4.13~6.9)が開催されるほか、様々なメディアでも、その偉大な生涯をたどる企画が組まれています。
 
空海に関わるスーパースポットといえば、真言密教の聖地である高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)、根本道場である京都の東寺(教王護国寺)が真っ先に思い浮かびます。
 
大阪湾は、古代から現代に至るまで、少なくとも千数百年にわたって日本を支え続けてきた最も重要な港湾エリアのひとつです。
 
空海の足跡をたどるという視点から、改めて大阪湾を囲むエリアを眺めてみると、湾の東南に高野山金剛峯寺があり、北東に入ったところに京都の東寺があります。

大阪湾を囲むエリア図

 そして、高野山から見た湾の対岸に、六甲山が位置しており、その山並みにも、空海の足跡が数多く残されています。
 
今回は、六甲山に残された空海のパワースポットのなかから、ふたつ取り上げてみてたいと思います。

第1回は、再度山(ふたたびさん)です。なお、弘法大師に限りない愛をこめて、以後「空海さん」と呼ばせていただくことにします。

本題に入る前に、六甲山のロケーションに着目してみましょう。下図は、六甲山の地形図(接峰面図)です。

兵庫県立人と自然の博物館『自然環境ウオッチング〈六甲山〉』(2001)から、引用させていただきました。

わが国有数の人口を有する市街地が、海に沿って細長く広がり、その背後に、海抜900メートルまでせり上がる六甲山が、まじかに迫っています。

ほぼ全山が風化した花崗岩に覆われており、断層と風雨による浸食の作用で、Ⅴ字形の切れ込みとなった沢が、無数に存在しています。

六甲山南麓の地形的特徴をまとめると、人口が密集する市街地が、海に面して東西に細長く広がり、その背後に、急峻で、断層と風化による無数の起伏を有する山並みがある、と言えるのではないかと思います。

もうひとつの重要なポイントが、海との関係です。

六甲山の西端、上図の左下「鉢伏山」(はちぶせやま)から、海沿いに約4キロ西方の淡路島との近接点に「五色塚(ごしきづか)古墳」があります。

4世紀後半に築造された兵庫県下最大の前方後円墳で、公園として整備されており、我々も見学することができます。埋葬者は不明です。

古墳に立って海を眺めるとき、真っ先に感じることは、明石海峡を押さえる要衝にあり、大阪湾を一望できる絶好のビューポイントにあることです。

大阪湾が一望できる五色塚古墳、右上が淡路島、神戸市広報資料から引用させていただきました

海に近く、町並みの背後からせり上がる六甲山南麓は、大阪湾を一望できる絶好の位置にあり、制海権を狙う人々にとって、貴重な情報が得られる重要ポイントであったのではないか、と思っています。

六甲山は、仏教伝来以前から、山岳信仰の盛んなエリアであったと言われています。

人家の近くにあるにもかかわらず、登るに険しく、起伏に富んだ地形は、特別な山という聖性を感じさせます。

加えて、大阪湾という有数の重要港湾の情報が得られる地である、という実利性も持ち合わせています。

こうした要素の重なりのうえに六甲の山岳信仰が盛んとなり、山岳信仰の高まりのなかから空海さんの足跡が築かれていったのではないか、と想像しています。

再度山は、標高470メートルの山で、神戸の都心部近くに位置しています。六甲登山の代名詞とも言える「毎日登山」発祥の山で、様々な登山ルートがあります。

今回は、新幹線新神戸駅(下図・右中段)から布引の滝をへて、再度山大龍寺(たいりゅうじ、下図・中央上段)へ上り、旧参道である大師道を下って、市営地下鉄県庁前駅(下図・中央下段)に至るルートを辿りました。

再度山周辺図

新神戸駅から続く急な石段を登っていくと、ほどなくして「布引の滝」(ぬのびきのたき)に至ります。いくつかある滝のうち「雄滝」(おんたき)の姿を撮りました。

布引滝のひとつ「雄滝」(おんたき)

落差43メートルの崖から、白布を垂らしたように流れ落ちる姿から「布引」の名がついたと言われています。

新神戸駅という市街地の北端から、わずか十数分登るだけで、このような景色を目にすることができるところに、六甲の険しさと魅力を感じます。

雄滝の近く、滝を見下ろすように「雄滝茶屋」があります。1915(大正4)年創業で、110年近い歴史がある老舗の茶屋です。私がお邪魔したときは、運悪くお休みでした。残念!!

雄滝茶屋、右方向に雄滝を見下ろすことができます

雄滝から十数分登っていくと「布引貯水池」に出ます。1900(明治33)年、水道専用として建設された日本初の本格的ダム(重力式コンクリートダム)で、現在に至るまで現役で活躍しています。

信仰の山である六甲は、こうした近代遺産もよく似合います。

布引貯水池➀、下方からみた外壁、ヨーロッパの古いお城のような佇まいです
布引貯水池②、新緑の木々と深緑の水面が映えて、とても美しかったです

布引貯水池から約1時間、西方に進むと「再度山大龍寺(たいりゅうじ)」に着きます。

大龍寺は、奈良時代に和気清麻呂が開いたと言われる古刹で、再度山の中腹、南斜面に建っています。ご本尊の如意輪観音は、行基の作と伝わります。

再度山の名は、空海さんの足跡に由来します。入唐求法の旅に出られる前後の二度にわたり、旅の安全祈願・目的成就、そしてそれらが無事果たされたことへの謝恩のために、登山・参拝されたことによるとされます。

1908(明治41)年に発行された寺の記録によると、最盛時には、空海さんの月命日である「毎月二十一日に参詣する善男善女は、萬の数を越すであらふ」(原文ママ)と記されています。

再度山大龍寺 大師堂

長い石段を上ると、正面に「大師堂」があります。そして、お堂の右方にある細く長い石段を、さらに上がっていくと「奥の院」に至ります。

再度山大龍寺 奥の院

奥の院の脇には、全国各地に伝わる「弘法水」(こうぼうすい)を連想させるような霊水の湧く井戸がありました。

霊水の湧く井戸

大龍寺を出て、旧参道である「大師道」に沿って下ります。歩いて数分のところに「善助茶屋跡」があります。

1905(明治38)年頃、神戸在住の外国人が、善助茶屋に置いたサインブックに署名する登山を始め、これにならって、神戸市民が毎日登山の習慣を始めたと言われています。

最盛期には、茶屋に100冊を超える署名簿が置かれていたそうです。

現在、茶屋そのものは残されていませんが、「毎日登山発祥の地 善助茶屋跡」の石碑が建てられています。

善助茶屋跡に建つ石碑

大師道に戻って、約2時間かけて山を下ります。立ち寄りたいポイントは多くありますが、石段が連続する急傾斜地も多く、とくに「下りは足にくる」ことから、体力を考慮し、そのまま下ることにしました。

急な山道の終点近くに「燈籠(とうろう)茶屋」があります。1923(大正12)年創業、昨年100周年を迎えた老舗の茶屋でしたが、残念なことに、今年の2月18日に閉店されました。

手間がランドマークの大木「燈籠の大クス」、その奥に見えるのが閉店した「燈籠茶屋」

燈籠茶屋から数分下ると「稲荷(いなり)茶屋」があります。市街地に近く、市営地下鉄県庁前駅まで、下りの徒歩で20分少々かなと思います。

2004(平成16)にいったん閉店となった後、現在の経営者によって再開されました。

ご主人によると、廃屋となった建物は痛みが激しく、登山者のゴミ捨て場になっていたが、復活再開をめざし、柱や梁、石垣など、なるべく元のものを活用しながら建て直した。
 
さらに、バーベキュー広場や民泊施設など、より幅広いニーズに応えるとともに、神戸市の「神戸登山サポート店」に登録し、怪我人の救急搬送を支援するなど、新たな魅力づくりに取り組んでいる、とのことでした。

稲荷茶屋の外観、手前の道が大師道、この辺りは舗装されて歩きやすいです
稲荷茶屋の店内、ゆったりとつくろげます、右側の壁に陳舜臣自筆の揮毫が掲げられていました
店内に掲げられた神戸華僑出身の直木賞作家「陳舜臣」自筆の揮毫

再度山の旅の終わりを祝して、茶屋特製の手作り餃子と、生ビールをいただきました。とっても美味しかったです。

手作り餃子と生ビール、2人前でちょうどよいボリュームでした


我々の日常生活の近くにありながら、険しく荒々しい一面をもつ再度山は、空海さんが求法成就の謝恩として再び訪れた聖地として、多くの人々を惹きつけてきました。
 
登山客を優しく招き入れてくれる参道の茶屋も、盛衰を重ねながらも再開され、この地の尽きせぬ魅力を語っているように感じました。

次回は、空海さんの足跡を辿る旅の2回目として、摩耶山(まやさん)を取り上げます。ぜひご覧ください。


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