川瀬流水

川瀬流水(かわせ・りゅうすい)といいます。民間伝承や歴史が好きなおじいちゃんです。 ラ…

川瀬流水

川瀬流水(かわせ・りゅうすい)といいます。民間伝承や歴史が好きなおじいちゃんです。 ライフワークとして災害を中心とした民間伝承を学んでいます。仕事の傍ら、大学に通って学び直したりもしましたので、そのあたりのこともお伝えできれば、と思っています。

最近の記事

「今、このnoterが面白い」に、ご紹介いただきました

今回「春よ来い」をご紹介いただき、ありがとうございました。 前回の「神戸ルミナリエ、第2回漆黒の異界」に続き取り上げていただいて、とても励みになります。

    • 春よ来い

      川瀬流水です。北但馬の香美(かみ)町村岡から、湯村温泉で有名な新温泉町へとつながる旧国道9号沿いに、「春来峠」(はるきとうげ)があります。 標高400メートル、但馬の原風景と言われる有数の豪雪地帯で、つづら折りの坂道が続き、古代より山陰道の難所として知られていましたが、新しい国道(春来トンネル)ができて、現在は静かな山里となっています。 峠を中心とする集落は、元々「椿村」と呼ばれていましたが、これが「春木村」となり、さらに「春が来るのを待つ」という意味に転化して「春来村

      • 境界の向こう側~お彼岸に邪気を祓い、避災招福を願う~

        川瀬流水です。今年の春分の日は。3月20日(水)でした。春分は、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さが同じになるという、1年のうちで最も重要な季節の変わり目のひとつです。 春分を中日(ちゅうにち)として、前後3日間を含む7日間は、春の「お彼岸」(おひがん)と呼ばれます。 彼岸という言葉は、サンスクリットのパーラミター(波羅蜜多)に由来し、迷い多き現世(こちら側の岸)から、悟りを得るための修行をへて到達する浄土(向こう側の岸)をさします。 お彼岸に行われる行

        • 災害と怪異

          川瀬流水です。東日本大震災が発生した2011(平成23)年3月11日から13年が経ちました。亡くなられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、いまだ不自由な生活を余儀なくされておられる方々に、一日も早い日常が戻ってくることを願っております。 このような災害が起こると、前ぶれと思われるような異常現象が話題になることがあります。カラスが集団で鳴き騒ぎ姿を消した、海上に明るい光の筋が見えたなど・・・ 私は、阪神淡路大震災で似たような現象を経験しました。屋外で飼われていた隣家の

        「今、このnoterが面白い」に、ご紹介いただきました

          陳舜臣生誕100年に寄せて              第2回 自然が溢れる美わしの街よ

          川瀬流水です。前回は、神戸ゆかりの作家、陳舜臣(1924.2.18~2015.1.21)の生誕100年にちなみ企画されたミステリーツアーに沿って、小説『三色の家」に描かれた神戸の街の姿を取り上げました。 今回は、彼が神戸に寄せた思いについて、みてみたいと思います。 『三色の家』では、主人公の陶展文は大学卒業後中国に帰国しますが、1年前に発表された第7回乱歩賞受賞作『枯草の根』(かれくさのね)のなかでは、50歳になった彼が神戸で中華料理店「桃源亭」を開いています。 今回

          陳舜臣生誕100年に寄せて              第2回 自然が溢れる美わしの街よ

          陳舜臣生誕100年に寄せて                        第1回 小説『三色の家』の街          

          川瀬流水です。今年の2月18日は、神戸ゆかりの作家、陳舜臣(1924.2.18~2015.1.21)の生誕100年にあたります。 私は、広島県南西部の海辺の町、呉(くれ)市の生まれですが、神戸には、就職と同時に移り住みました。「海にも山にも近い。これが、神戸のキャッチフレーズ」と陳舜臣は述べていますが、海に向かって開かれた雰囲気はよく似ています。 生まれ故郷に似た心地よい街の暮らしに包まれながら、読み親しんだのが陳舜臣でした。今でも最も好きな作家の一人です。 私は、

          陳舜臣生誕100年に寄せて                        第1回 小説『三色の家』の街          

          『KAZIRU公式noteが乾杯』に「神戸南京町と春節祭 第2回幸運を呼び込む新春の伝統」をご紹介いただきました。ありがとうございました。 日本人をはじめ、この国に暮らす様々な人々の避災招福の願いを、様々な視点から取り上げてみたいと思いますので、ご覧いただけたら幸いです。

          『KAZIRU公式noteが乾杯』に「神戸南京町と春節祭 第2回幸運を呼び込む新春の伝統」をご紹介いただきました。ありがとうございました。 日本人をはじめ、この国に暮らす様々な人々の避災招福の願いを、様々な視点から取り上げてみたいと思いますので、ご覧いただけたら幸いです。

          『今、このnoterが面白い!』に「神戸ルミナリエ~その光と影~第2回漆黒の異界」をご紹介いただきました。ありがとうございました。 「我々は災禍とどう折り合いをつけて暮らしてきたか」を主要テーマに、これからも様々な視点から投稿していきたいと思いますので、ご覧いただけたら幸いです。

          『今、このnoterが面白い!』に「神戸ルミナリエ~その光と影~第2回漆黒の異界」をご紹介いただきました。ありがとうございました。 「我々は災禍とどう折り合いをつけて暮らしてきたか」を主要テーマに、これからも様々な視点から投稿していきたいと思いますので、ご覧いただけたら幸いです。

          神戸南京町と春節祭         第2回 幸運を呼び込む新春の伝統

          川瀬流水です。2024(令和6)年2月10日(土)から12日(月・祝日)の間、神戸南京町で行われた春節祭を取り上げています。今回は、幸運を呼び込む新春の伝統的なオーナメントやグルメについて、みてみたいと思います。 春節祭を彩る今風の飾りつけのなかにも、中国伝統のオーナメントを見つけ出すことができます。「年画」(ねんが)は、春節をはじめとする慶事に、家や店舗の門扉や室内の壁に貼って飾り、除厄・慶祝の祈願を行う版画、あるいは現代風に印刷された色鮮やかなアートをさします。

          神戸南京町と春節祭         第2回 幸運を呼び込む新春の伝統

          神戸南京町と春節祭             第1回 邪気を祓う新春の祭 

          川瀬流水です。2024(令和6)年2月10日(土)から12日(月・祝日)の間、神戸南京町で春節祭が行われました。中国をはじめとするアジアの多くの国々では、旧暦のお正月を「春節」(しゅんせつ)として盛大に祝いますが、神戸の南京町でも、1987(昭和62)年から、これらをアレンジした形で「春節祭」が行われてきました。 神戸という街の発展は、1868年1月1日の神戸港開港とともにスタートします。街の発展の中心となったのは、開港と同時に設けられた外国人居留地ですが、神戸では最初か

          神戸南京町と春節祭             第1回 邪気を祓う新春の祭 

          神戸ルミナリエ~その光と闇~ 第2回 漆黒の異界

          川瀬流水です。神戸都心のJR三ノ宮駅から北東に歩いて数分の場所に「東門筋」(ひがしもんすじ、東門街とも)が南北に走っています。「神戸」という地名の語源となった生田神社(式内社・明神大)の東門に面する通りであることに由来します。 東門筋とその周辺エリアは、神戸港の発展とともに長い歴史を辿ってきましたが、第二次大戦後は、神戸随一の繁華街として市民に愛されてきました。女優浅野ゆう子さんのお母様がやっておられるスナックがあることでも知られています。なお、その範囲は捉え方によって様

          神戸ルミナリエ~その光と闇~ 第2回 漆黒の異界

          神戸ルミナリエ~その光と闇     ~第1回 4年ぶりに復活したルミナリエ

          川瀬流水です。能登半島地震は、いまだに被害の全容が明らかになっていまふせんが、神戸に暮らす私には、新年を迎えた1月の寒い朝の気配とともに、29年前に発生した阪神・淡路大震災のことが鮮烈に思い出されます。 大震災の犠牲者を鎮魂するイベント「神戸ルミナリエ」が4年ぶりに復活しました。開催時期をかつての12月から1月に変更し、1月19日から28日の10日間、新たにメリケンパークを会場に加えて再スタートしました。会場は、拠点となる東遊園地エリア、その西の旧外国人居留地エリア、そして

          神戸ルミナリエ~その光と闇     ~第1回 4年ぶりに復活したルミナリエ

          第6回 日本人の災害感 〜フォークロアから読み解く日本人の災害感〜

          川瀬流水です。今回、災異思想という視点から、平安前期の清和天皇に光をあてつつ日本人の災害感についてみてきました。こうした意識は、千年の刻を超えて、歴代天皇のなかに連綿と受け継がれてきたように思います。 もともと中国からもたらされたものですが、天皇という存在をキーマンに、自然災害多発国の日本に根づきました。制御しがたい災害を前にしたとき、為政者の象徴である天皇が、被災者に対する儀礼としての共感の表明ではなく、もう一歩踏み込んで、私はあなたが受けた苦しみに対し責任を負う者であ

          第6回 日本人の災害感 〜フォークロアから読み解く日本人の災害感〜

          第5回 清和天皇の晩年 〜フォークロアから読み解く日本人の災害感〜

          川瀬流水です。平安前期の清和天皇は、9歳即位後の18年の在位の間に、富士山噴火、巨大地震、国家を揺るがす政変など、あらゆる災異に見舞われました。在位中は、多くの女性を愛されたことでも知られ、皇子の多くは臣籍降下されて、のちの清和源氏を形成することになりますが、876(貞観18)年27歳で突如退位、第1皇子の貞明親王、後の陽成天皇(ようぜい・てんのう)に譲位されました。 自らは3年後の879(元慶〈がんぎょう〉3)年仏門に入られました。仏門の名は「素真」。 その後僅かな供と

          第5回 清和天皇の晩年 〜フォークロアから読み解く日本人の災害感〜

          第4回 清和天皇と貞観三陸地震 〜フォークロアから読み解く日本人の災害感〜

          川瀬流水です。貞観三陸地震は、貞観11年5月26日(西暦869年7月9日)、陸奥国東方沖(三陸沖)を震源域として起こった大地震で、マグニチュード8.3以上ともいわれています。津波を伴い、広範囲に甚大な被害をもたらしました。 平安時代の歴史書『日本三代実録』によると、朝廷の対応は、9月7日になってようやく陸奥国地震使を任命するなど、決して早いものではありませでしたが、10月13日に清和天皇の詔(みことのり)が発せられ、民夷を問わない救護、死者の埋葬、被災者の租税・労役免除、生

          第4回 清和天皇と貞観三陸地震 〜フォークロアから読み解く日本人の災害感〜

          第3回 平安前期と清和天皇 〜フォークロアから読み解く日本人の災害感〜

          川瀬流水です。NHK大河ドラマ「光る君へ」で、平安時代が脚光を浴びています。ドラマの時代は、平安中期に当たりますが、災異(天災地変)という視点から、前期の清和天皇(せいわ・てんのう)の時代を取り上げてみたいと思います。 清和天皇の生没年は850(嘉祥3)年~880(元慶4)年、行年31歳、858(天安2)年9歳で即位、876(貞観18)年27歳で譲位、在位18年、年号は「貞観」(じょうがん)が用いられました。 平安時代の気候は、古墳寒冷期から中世温暖期へ移行するなかで、概

          第3回 平安前期と清和天皇 〜フォークロアから読み解く日本人の災害感〜