ズルいわたし、インドへ行く
ズルい、ウザい、ムカつく。
ひどい言われようだ。
でも、それが、奈良リトリートで言われた言葉のひとつだった。
ズルい、ウザい、ムカつく自分を、認めよう。
超陽のときも、超陰のときも、どちらでも、どちらも、ズルくて、ウザくて、ムカつくらしいのだ。
(私の解釈であり、言われた言葉とは違います。)
わたしは、常に罪悪感があった。
家族がいて、友人がいて、学校教育も受けて、仕事もあり、衣食住に困らない暮らしをしているのに、もっと楽しいことを求める自分に。
そして、それを選ぶことができることに。
“生”をもらったのに、自分自身の能力をフルに使って、社会に還元しているとは言えない状態に。
生ぬるく、ゆるゆると過ごしたり、だらけたりすることに。
そして、それをよしとしている自分に。
だから、指摘されたくなくて、(十分あるくせに更に求めるなんて)ズルいと言われたくなくて、ちゃんと罪悪感を持つことを自分のモットーみたいにしていた気がする。
ちゃんと“罪悪感を持ちつつ、認識しつつ“やってますよ、みたいな。
そう、罪悪感を感じつつも、わたしは、やりたいを、やっている。
やりたいと思ってから、やるまでに、「あ~どうしよう、やってもいいのかな、これは大丈夫かしら、世の中の普通の範囲かしら、贅沢かしら、望み過ぎかしら、次から次に節度がなさすぎる、これを望んでも本当にいいのか、わたしの使い方はこれであっているのか、お金無駄遣いじゃない」とかさんざんゴチャゴチャ考えて、数か月~年間悩んだ“フリ”して、結局やる。
去年くらいから、これは、“フリかも”って気づきだして、奈良リトリートで、フリをしている理由までわかってしまって、とうとう、フリをやめたい、やめようと思うようになった。
だから、わたしは、インドに行くことにした。
そして、そのあと、パンチャカルマに行くことにした。
どちらも、ちょっと行ってみたかったからだ。
去年あたりから、ヨガをオンラインでやって、MOTOKO大先生のyoutubeや
講演会でアーユルヴェーダの奥深さを知って、インドに行きたいなと思うようになった。
(24年2月のこと)
はじめは純粋に旅行で行こうと思い、航空券を手配した。
とても楽しみで、都市を選んで、行程を決めて、ホテルを探索していた。(24年3月上旬)
そのあと、会う人会う人に、パンチャカルマ?と聞かれて、
いやいや~パンチャカルマなんて~と答えていたら、
あれよあれよ、もっと休みを長く取れることになり、どんどん行きたく+行けるようになってきた。
もともと、3~5年後くらいにパンチャカルマに行ってみたいな~とぼんやり思っていたのだが、
行ける可能性があるのに、なぜ、数年先延ばしにするのだ?と自分に問いかけた。
だって
⇒お金使い過ぎてる
⇒やり過ぎてる
⇒普通じゃない
⇒急すぎる
そんな理由で、後ろ倒しにする必要は、ないと、いまのわたしは思った。
わたしは、パンチャカルマも行こうと思う。
大きな病気はないです。
事前に準備も周到にできていません。
長年の夢でもないです。
ただ、行ってみたいです。
そして、行けそうです。だから行きます。
それで、いいや。
本当はね、8年続けてきた仕事を辞めるご褒美ですとか、誰かが納得してくれそうな理由でもいいんだけれど、それは、嘘だから。
ただ、行ってみたいだけ。
それで、いい。
「行ってみたいから、ちょっと、
インド行くわー、3週間…^^!」
うわ~…改めて、めっちゃ、ズルくて、ウザくて、ムカつくやつだ…だけど、それもわたしだって、認めましょう。
さて、仕事の調整、引継ぎ、
フライトチェンジ、宿手配、
パンチャカルマ予約、保険会社に連絡、
インド国内移動フライト、などなど、
やること満載の1週間!
楽しみのため、やるぞ!
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