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生きていく毎日

聖書を広めている人が訪ねてきた。

インターフォンが鳴り、つい出てしまったときに限ってそういう人だったりする。もちろんインターフォン越しで「忙しいのですみませんー」とお断りすることも多いのだが、今日は玄関のドアを開けてしまったのだ。

以前もそんなことがあったが、今日の人は初めての人だった。突然訪ねてきた人に色々喋ってしまうのは今思えばまずいことだとは思うけれど、つい話こんでしまうのは私の悪い癖かもしれない。
 

あなたはずっと生きていけると思いますか?


今日の人は、確かこんなニュアンスのことを問いかけて帰っていった。
どう思いますか?と。
私は「生きている」が何を指しているかにもよりますね。と答えた。

答えるまでの一瞬で色々考えた。
実態のある状態で科学的に生きているという状態の場合だったら無理だと思うし、それは生物的に変えられないと思った。でも、今年の年末に映画でやるようなアバターのように、人の意識だけ違う生命体に移植できたりするような時代が来るのであれば、ずっと生きているとも言えるだろう。

こうも考えた。
生きているとは存在していることだと仮定するのであれば、見える見えない、ある・ない関わらず、魂という存在を信じているなら、ずっと生きているんだろうなぁ。

生きていることが幸せなら、ずっと生きたいと思うし
生きていることが不幸せと思うなら、ずっと生きていたいと思わない。

ずっと生きていることが良いことだとも思わない。
結局私は生き続けることに対して、どっちでもいいと思ってるんだなぁとしみじみ思った。早く死にたいとも思わないけれど、生きていることはさほど重要ではない。生き続けている最中の方がよっぽど重要だよね。

毎日仕事して、子供達と過ごして、旦那さんと会話する。
そんな何の変哲のない毎日だけど、それも同じように続くことはない。

常に過ぎ去った過去を基準に生きているから、変化がないように思うけれど、きっと今日と同じ日は来ないし、明日だって何が起こるかわからない。

だけど今日があるから、明日が来るのも事実。

生きているって毎日の積み重ね。
生きているってそういうことだと、私は思う。

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