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子どもが介護を担いすぎる問題。中学生が介護?ヤングケアラーの話

満開の春も去り、新緑が美しくなる頃だったと思う。
民生委員さんからの電話で、心配だから関わってもらいたい人がいるという。

今でこそ民生委員さんとの窓口は地域包括支援センターだが、当時はまだ個人情報云々も騒がれて無い時代で、私達も地域の民生委員さんとのやりとりも盛んだった。

事の発端としては、そのおばあちゃんのお隣に住む家の方からの相談だったらしい。

どうも隣のおばあちゃんは認知症らしく、昼夜関係なく大声をあげている。日中は家族みんな出かけていないので、おばあちゃんが大声をあげるたび心配してしまう。。というものだった。

最初に伺った時の印象としては、おばあちゃんは、意思疎通ができないくらい重度の認知症と思われた。
思われた、というのは、診断はされていなかったから。

足腰はまだお元気で歩いてはいるけど、歩き始めや方向転換なんかは、転ぶこともある。全身に痛々しい傷が見て取れた。
会話はできないが独りでブツブツとずっと空を見て話している。家族の顔も認識していない様だ。


ここまで、何の介護サービスも使わず、何の診断もされず、どうやって今まで過ごしてきたのだろうと思うけれど、案外大変になってから見つかるケースはまだまだ多い。

一緒に住んでいるのは長男家族で、主介護者は長男嫁とのこと。
長男は仕事で帰りは遅く、長男嫁はパートに出ており、うつ病の治療中である事もわかった。孫の中学生も一緒に住んでいるが話には出てこない。
おばあちゃんは日中一人で家にいるようだ。

孫のさっちゃん(仮名)に初めて会った時はちょっと驚いた。
なぜなら私は一方的にさっちゃんを知っていたのだ。

さっちゃんは中学生で、いつも中学校が終わる頃、一人で歩いている。
背がとても高くて目立つさっちゃんは、私が訪問が終わり事務所に帰る時によく見かける子だ。

さっちゃんは、ぺこりと頭を下げて自分の部屋に行く。日中学校に行ってるさっちゃんとはなかなかお話する機会がなかった。
それに、さっちゃんがまさか、このお宅で介護を大きく担っているとは最初は思わなかった。


認知症の方は自己表現ができなかったりするので、ついつい周りの家族の意見や感情に流されてしまいがちだけど、支援者はまず本人をしっかりと見ないといけない。
これが大事。常時見守りが必要な今の状態のおばあちゃんの介護はどうしてるんだろう。介護者である長男嫁に聞いても、どこか、他人ごとのような、詳細な介護が見えてこない。もしかしたら放置してるのかも。。
そんな時、たまたま土曜日にいたさっちゃんから話を聞くことになり私は驚いた。


昼間は誰もいないので、部屋に鍵をかけて閉じ込めて留守番させておく。だけど、トイレはできないから、戻ってくると部屋中汚しており、その始末を帰って来たさっちゃんがする。夜もさっちゃんが一緒に寝ているという。実際の介護者は嫁ではなく、明らかに中学生のさっちゃんだった。
話を聞けば聞くほど、子どもの家族介護のお手伝いの域を明らかに超えている。


おばあちゃんには多くの検討課題があった。
私は急いで、でも丁寧に1つ1つおばあちゃんの状態を確認した。頻回に転んでいること、薬が飲めていないこと、トイレや入浴などといった清潔面での問題がある。介護力や身体拘束の問題もあった。
自立に向けて改善の可能性はあるだろうか。悪化の可能性や必要なケアについて1つ1つ丁寧に検討する。

おばあちゃんに適切な介護を受けてもらうために、現存している介護サービスやインフォーマルなサービスを含め相談していく。

おばあちゃんの課題を解決する事でさっちゃんの負担も減らしたい。

しかし、なかなか上手く進まなかった。
長男嫁は、これまで通りさっちゃんの手伝いを望んだし、さっちゃんもそれを望んだ。

おばあちゃんにとって適切な介護を受けるという事に私の気持ちは急いでいた。
毎日の様に転んでいるので、身体には沢山の傷があった。いつ転んで骨折するとも限らない。それにモタモタしているうちに夏がくる。暑い中長時間倒れていたら命にも関わる可能性もある。

急ぐ理由はもう一つあった。
さっちゃんの事だ。
さっちゃんは中学生になったばかり。
すでに介護に時間をとられ学習に影響が出始めていた。
いつも一人でポツンと帰っている姿。
部活動や友達と遊んだり。
当たり前の事がさっちゃんには無かった。

家庭訪問で授業中に寝ている事、その結果成績が良くないこと、友達がなく1人でいる事。
学校の先生に指導された内容について、長男嫁は介護がその原因の一つになっているとは全く感じていなかった。


私の出した結論は、おばあちゃんは専門職のいる施設にお願いしたらどうか。
というものだ。
色々在宅でのサービスをと悩んだがすでに常時目の離せない今の状態で、総合的に考えたとき、これがベストだと思った。

しかし、長男嫁は首を縦にはふらない。
さっちゃんも、今のままおばあちゃんの介護は自分がするという。
それは本心。。?それとも。。

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つい先日、昼休みに散歩していた時に庭先で花に水をやっている長男嫁にあった。

中学生だったさっちゃんは、今は高校を卒業してアルバイト先にそのまま就職。そこの従業員と結婚し、この秋には赤ちゃんが生まれるという。
「もう、主人も喜んじゃって、初孫だからね」長男嫁は嬉しそうに笑った。

あの後、すったもんだあったが、おばあちゃんは施設に入った。
そして、温度の保たれた清潔な場所で、認知症の専門職の皆さんに良くしてもらい、大声を出す事も減り、穏やかに過ごしている。面会に行っても家族の顔もわからないが、ニコニコと迎えてくれるらしい。

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何度かお伺いするが、長男嫁との話は平行線だった。なかなか決断できない理由はなんだろう。

私は忙しい長男にダメ元で面会をお願いした。おばあちゃんの実の息子である長男はこの状況をどう捉えているのだろうか。

鍵を握っていたのは、長男だった。


結果的にここに全て隠されていた。

長男はとても仕事のできる優しい旦那であり父だった。
帰ってくると
「いつもありがとう」
「こんないいお嫁さんをもらって幸せだよ」
「優しい娘でお父さんは嬉しいよ」
毎日長男は嫁と娘にそう言っていた。
驚いたことに、長男は自分の母の状態をあまりわかっていなかった。
嫁と娘に任せっきりだった。

たしかに、介護をしていると、労いの言葉はとても大切で、その言葉に救われる人がいる事も事実。沢山感謝の気持ちを伝えてほしいと思っている。しかしこのご家庭の場合は少し違った。

いつしかその言葉が二人が
無理な介護から抜け出せない状況にしていた。

人に任せる事が出来くなっていた。
立派な嫁、立派な娘。
そんな必要ないのに。

それからの息子さんの動きは早かった。
今まで妻子に任せていた介護にも関わる様になり、自分の母親の認知症の状態を目の当たりにしてショックを受けながらも、母親にとっても、家族にとっても良い道を模索しながら、そして、やはり24時間見守りの必要な母親の状態をみて在宅生活には限界があると判断。どの施設なら良い介護が受けれるか、見学に回り、介護の勉強もされた。

「あの時、言われた言葉が、ガツンと来てね。目が覚めたよ。仕事ばかり理由にして妻と子どもに甘えていたからね。あのままだったら、知らぬ間に家庭が崩壊していたかもしれない」長男は言った。


「今、必要なのは、おばあちゃんの介護に目を向けてもらうことと、奥様とお子さんに優しい言葉だけではなくて、身体と心を休ませてあげる行動です。そして、さっちゃんの学生生活を取り戻す事です。」
覚えていないが、私は当時そんな事を言ったらしい。

後から聞いた話では、さっちゃんは、当時の事はあまり疑問に思ってなかったらしい。生活の中で介護は当たり前になっていたし、仕方ないと思っていた。おばあちゃんが特別に好きだった訳でもない。ただただ、お母さんのうつ病がひどくならないように。そんな思いだったという。
中学生になってからは、介護のため部活も参加できず、友達もできず、勉強もできない自分に嫌気がさしつつも、やる気も起きずにこのままおばあちゃんの介護を理由に現実から逃げようという気持ちにもなっていたという。

介護のお手伝いをする事自体は決して悪いことではない。家族や近所、みんなで介護をするのは素晴らしい事だ。
ただ、さっちゃんの場合はその域を超えていた。

おばあちゃんが施設に入り、介護が無くなってからも、さっちゃんは学校に溶け込むにも時間がかかった。既にクラスでもグループができており、自由な時間ができても溶け込む事が出来なかった。
一方で、父である長男が先生に事情を説明し、遅れている勉強に関してはずいぶん学校で面倒を見てもらったそうだ。
そのおかげで勉強は取り戻す事ができた。

さっちゃんは、授業中寝ている子という印象でその背景には先生も全く気づかなかったそうだ。ヤングケアラーは沢山いるが、気づいてもらえない事が大半だ。
それは、やはり家庭の中のことであり、外に出にくい。

ヤングケアラーという言葉も最近よく聞く様になった。それには、残念な悲しい事件があった事も背景にある。

このnoteをみている先生や、大人たちには、ヤングケアラーと呼ばれる子どもが大勢いる事を知ってほしい。
実際は沢山の課題が山積みで、スムーズにいかない事も多い。
でも、まずはヤングケアラーが話がしやすい環境を作る事が大切なのだ。

ニ年生に進級し、クラス替えを機に人間関係はリセットされ、さっちゃんも中学生らしい生活を送る様になった。
部活動にも入り、友達と帰る姿を見かける様になった。友達とケタケタと笑い転げながら帰り道を歩くさっちゃんは当たり前だけど中学生らしさに溢れていた。
これから、友達と喧嘩したり、人を好きになったり、灰色の受験生になったりするんだろう。これって当たり前の様で当たり前じゃないんだ。

介護保険は在宅重視で、もちろん住み慣れた家で生活できたら1番いい。
でも、施設で落ち着いた生活をするのも悪いことではない。
特に認知症の介護は1人では難しい。

小さな変化でもあれば、かかりつけ医に相談してほしい。
今は認知症についても、多くの医師が勉強している。
自分達で悩まず、ドアを叩いてほしい。
ドアを叩く手助けが地域でできたら。

このおばあちゃんの様に心配してくれるご近所さんが繋いでくれたように。

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1人の事をみんなで考える。
そういう社会になるといい。
ヤングケアラーについて、もっと広まり、不幸な事件や家庭が壊れてる事を防げたらどんなにいいか。
それには、身近なところから、ちょっと気にかけてもらえれば。
そして、困った時は話してくれたらいい。
そういう場を大人が作らないといけないね。

今では、私の地域ではオレンジリングという認知症サポーター研修を中学校と連携して行っている。
また認知症カフェを開き、地域の方に参加してもらう活動もしている。

小さな事だけど、こういう小さな積み重ねが地域を作っていく。

この仕事をしていると、切なくなるような事案に出会う事もある。
自分の力の無さを痛感し悔しくなる事もある。子供の辛い姿はみたくないものだ。

帰り道の渋滞にはまりながら、自分の子供達の顔を浮かべていた。
忙しい私は忙しさを理由に家事をバタバタこなし、子供にゆっくり向き合う時間が最近とれていない。
今日は家事を手抜きして、家に帰って、夕ご飯を作りながら、子供達と今日はゆっくり話をしよう。
そんな事を思いながら、今日の仕事を終えます。

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