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強制退去の行く末。

例えば家賃を滞納して、強制退去。
というのは、何かのTVで見たことはありました。
でも、それはどこか遠い世界の事のように思っていて、身近なところで起こるまでその仕組みすら知らなかったのです。

仕事をしていて、ここから電話がかかってくるとドキドキする相手というのはいくつかあって。
例えば、警察。
利用者さんが何か起きたか?とビクビクする。
例えば、行政。
仕事に何か不備でもあったか?と心配になる。
例えば、医師。
利用者さんの病状に変化が起きたのか?と構えてしまう。

でも、心配ごとの9割は起こらないと誰かが書いていたように、実際は、大事な事はほとんど無かったりする。

でも、この場合は残りの1割だった。


その電話はある日、いつもの様にパソコンに向かっている時にかかってきた。

◯◯弁護士事務所です。

弁護士事務所?

「そちらに、佐藤かほさん(仮名)の担当の方はいらっしゃいますか?」
受話器の向こうの男性は事務的に淡々と話した。

担当の職員に
「◯◯弁護士事務所の方で、佐藤かほさんの件だそうです」と伝える。
担当の職員も、え?っと驚きながら電話の保留を押す。

側でやり取りを聞いていた別の職員も、私と目を合わせ、何かいいたげにしている。

私達は、キーボードを打ちながらも、電話の会話に耳を傾けていた。

電話に出た職員が話していくうち、顔が曇り険しくなっていく。
一体弁護士が何の用なのだろう。

この利用者の名前と弁護士と聞いた時、思い当たる事が一つあった。

電話を切ったあと、職員から説明を受けて、やっぱりその件か。と思った。

佐藤かほさん。
夫と2人暮らしの高齢者世帯。
ご主人はお元気。
ご主人は毎日借りてる畑に野菜の世話に出かけるのが日課。
かほさんは、認知症があり、スリップの下着姿で外を歩いているところを交番に保護され、地域包括支援センターを経由しうちの担当になった方だ。
担当になった後も時々真冬に薄手の服で歩いていたり、雨の中傘もささず彷徨っていたり、この界隈ではちょっとした顔も知られている人だった。中には自宅まで把握し、送ってくれる地域の人もいるくらい、おかしな表現だが、かほさんが歩き保護される回数は多かった。
この事については、いつもかほさんが寝ている時に、ご主人が畑に行き、その途中で目の覚めたかほさんがご主人を探して外に出てしまう。というのが流れで、畑から戻る途中にご主人がかほさんを見つけて車に乗せて帰るというのが日課だった。

この毎日の流れについて、担当は、事故などを心配し、様々な提案はしたが、そのどれもご主人はことごとく却下した。
唯一、特殊寝台という電動ベッドを借りることだけは受け入れた。

かほさんの認知症はかなり進んでいたので、大声をあげたり時に暴れたりすることを思うと大変な介護であると思うが、ご主人はいつも堂々としていて、かほさんがどんな状態でも平然とし、警察に保護される時も、「もしなんかあってもそん時はそういう運命だから!」
何かと運命で片付けるところがあった。

大家さんから相談を受けたのはニ年ほど前の事だったと思う。
お二人の借りている平屋のその家は、長屋の様な作りで、かなり古く、地震が来たら崩れてしまいそうだった。
高齢の大家さんは、その長屋を取り壊し、賃貸業を引退する意向だった。それで、その何年も前から、貸している方達には更新はもうしないという事で、その長屋はどんどん人がいなくなり、今ではこの夫婦だけになっていた。
大家さんは優しい人で、強く言えないまま経過していたようだ。

困った大家さんがどこかから聞いて、私達に相談してきた。
正直にいうと、こういうことは、私達の仕事の範疇ではない。
でも、大家さんが困っているのもとてもわかった。
ご主人の性格を考えても、この生活を変えて引っ越しするとは思えなかった。
ある時、訪問の際に、立ち退きを迫られているという話が出たらしい。
担当からも、この家屋は古くて危険だし、引っ越ししてはどうかと提案した。
しかし、ご主人は何があってもここにいるという。生活ぶりから、生活保護の相談もしてみる価値もあると思われたが、頑固として拒否し続けた。
「車を手放したく無い!畑から通えるこの家から出ない」

時々、何度かそんな話しが出ても、ご主人の意思は変わることはなかった。

いつしか、周りの家が取り壊しされ、更地になって行く中で、2人の家だけがポツンと残され不思議な光景になっていた。


弁護士の用件は、強制退去の予告だった。
裁判官が強制執行する時、ご主人とかほさんはもうその家には住めなくなる。
弁護士は、かほさんが介護状態であること、認知症であることも、今までのご主人との面会ややり取りで理解しており、
ご主人が執行の際に暴れたりすると逮捕される可能性もあるとの事だった。
弁護士は周りくどい話しをするが、ようは、その時から住む場所はないですよ。
という事を伝える目的だった様だ。
家にある荷物も全て、運び出しどこかに保管されるらしい。

私達は、強制執行という、なんだかわからない事に慌ててしまい、急いで調べて、かほさんをどうするか?と話し合った。

地域包括に相談し、初めての事に地域包括も悩み、行政の介護保険に相談する事にした。

初めて知ったが、こういう行き場の無い方を受け入れる住宅や、組織がある事を知った。しかし、色々な問題があった。
かほさんは、認知症で判断が難しい。支払いをどうするか。保証人はどうするか。
どの様な手続きが必要で、どこまで誰がどんな権限でかほさんの行き先を決めるのか。

その日は、迫っているのに。
なかなか動いてくれない行政に私達は苛立っていた。

執行が近づいた時に、かほさんの行き先が決まった事を知った。
ただ、その場所は、その時点で私達にも教えてもらう事はできなかった。
後から教えられたが、執行を行うにあたりご主人とかほさんを一旦離して保護し安全を確保する必要があった。だから、かなりシークレットの状態で動いていたのだと思う。

その瞬間をうちの担当の職員は見ていたが、執行のそのテキパキとした動きは凄いとしか言いようが無かった。あっという間に荷物は運び出された。ご主人はというと、暴れたりしなかったので逮捕こそされなかったが、車に乗ってどこかに行ってしまった。かほさんは保護されて、それに関しても抵抗は無かった。
後日、ご主人に関して今後の事を話しあわれた。
かほさんは、一時的に施設に入り、安全な生活は送れていた。
ご主人は、違う場所を紹介してもらいそこに住む手続きをふんだ。
人が変わったように素直なご主人だった。
当然、住む場所が決まるまでは時間を要し、それまでの期間、ご主人がどこでどうやって過ごしていたのかはわからない。
恐らく車で生活していたのだと思う。
時々やってくる時、何日もお風呂にも入っていない、着替えもしていないご主人はかなり体臭があり、ご主人がら帰った後も換気してもしてもなかなか臭いが取れないほどだった。

だいぶ落ち着いてから、ご主人は、かほさんの居場所を教えてもらえる様になり、時々面会はする事ができた。
強制退去まで、どうなる事かと思ったが、
結果的には、収まるところに収まった。
無知な私達は、大慌てしていたが、弁護士も裁判官も、行政も、ちゃんとした準備はしたうえで、予定通りなのだろう。
もう少し教えてもらえたらこんなに四苦八苦しなかったのに。と思うが、
情報を流さない為には致し方ないのか。
未だにモヤモヤはする。

ちなみに、借りていたベッドは、執行の際に福祉用具の業者さんに来てもらい引き取ってもらった。
「こんな経験は初めてですね。。」
執行の一部始終を見ながら、なんとも切ない気持ちであった事だろう。

常日頃思うが、色々な他制度があり、私達はその事も勉強したり、最新の情報や制度改正を覚える必要がある。
当然、わからない事もあって仕方ないが、学ぶ姿勢を失くしてはいけない。

もっと早くどうにかならなかったのか。
どうしたら、助けを求めてくれるんだろう。と思う。
今回の事も、強制執行の前の何度かの話しあいのうちに対処していれば、こんな大変な事にはならなかっただろう。
でも、それがうまくいかないのが現実だ。歳を重ねれば重ねるほど、環境を変える事には抵抗がでる。
その結果がどうなるかまでの想像はできない。でも、してきた様に結果は否応なしについてくる。
余計なお世話と言われる事もある。
放っておいて欲しいと言われる事もある。
何が正解か。迷うときもある。
でも。救いたいと思う。
あきらめたら試合終了だよね?


もう一つ思った事。
2人にはお子さんが沢山いた。
でも、独立して出て行った子供の全てが、2人に対して関わりたくない。縁を切っている。と言っていた事を後から聞いた。
家族の中にどんな歴史があったのかはわからない。
でも、その話を聞いた時、なんとも寂しい気持ちになった。
家族って難しい。
お子さんにはお子さんの事情があるのだろうし、夫婦には夫婦で子供から離れて2人で生きていくという覚悟があったのかもしれない。

生きていると色々な事がある。
困った状況になったら、どうしたらいいか、どこに相談したらいいか。
それができるかできないか。
身近に相談できる相手がいるか。

まだまだ、課題は山積みである今日を実感して一日がまた終わる。

家族を大切にしようと思う。
1日1日を大切にしようと思う。
まだ、人生はわからない事だらけだ。

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