親しみとは欠点から生まれる(二次元)

 気安くそれを愛でることができるというのは、「それ」に短所があるからだ。ただし短所は、現実的にはできるだけ持ちたくないものであり、自分の周囲の人間にも持ってほしくないものだ。なぜならば短所とは、不利益を生むからである。県洗面、健康面、社会的地位や信用、これから歩むはずだった未来……そういったものをなしにしてしまう、惨めにしてしまう力を持っている。
 だから本来、そのようなマイナスのものを持ちたいとも関わりたいとも、見たいとも思わない。でもただ1つ、その短所が自分とはなんら関係のないところで発揮される限りにおいては、それは「親しみ」に変換されることがある。

 私達が、何かの短所(欠点)を親しみと感じるためには、その何かができるだけ遠くにいる方が良い。加えてその何かはそもそも、親しみを感じてもらうための存在であった方が話がスムーズだ。
 即ちそれは、いわゆる二次元的な存在(キャラクター)であり、私達のリアルの隣人ではないことである。
 このようなキャラクターに限定して言えば、むしろその短所は、長所よりも多いくらいが最も魅了を増すように思われる。どうしてかと言えば、前提として短所によって迷惑をこうむるのが全て二次元の他のキャラであること(現実には影響しないこと)がまずある。そして何より、そのキャラクターを見下すことができる、自分にとって敵にはならないと認識できることが大きい。
 つまり短所とは、「敵意のなさ」なのである。そんな、いつも失敗ばかりしているようなキャラクターをどうして自分に害あるものとみなすだろうか? そんなことは基本的には私達の心理的な傾向としてありえない。だから、欠点とは善意であるとすら言い換えることが可能なのである。

 実際にはどうだかは関係なく、私達の感じ方として、短所が目立つということは敵意のなさとイコールで結ばれる。そしてそこに「親しみやすさ」が立ち現れる。

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