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当たり前は難しい

こんにちは。文学サークル「ペンシルビバップ」の川和真之です。

僕は小説を書こうと初めて思ったのが25歳の夏なんですけどね、そのときから、小説家になるために邁進できている時期って、ほとんどないんですよね。

邁進するためには、明確な動機付けが必要で、それを見つけるのに十数年かかった、いや今もまだその途中なのかもしれません。

完全にコミットできたとき、初めて邁進できるのでしょう。ここでいう邁進とは、今回のタイトルでもある「当たり前」のことを「当たり前にできる」ということです。でもこれが本当に難しい。

これは、いま仕事として携わっている大学受験なんかもそうだなと思います。僕は公立高校のいわゆる進学校に勤めているんですけどね、今は2年生の担任なのですが、この生徒はまず間違いなく難関大学に受かるのだろうな、思うことがあるのですが、その生徒たちは、「当たり前」のことを「当たり前」にできているのです。

例えば、その生徒たちは週20-30時間は学校外で勉強をしています。おそらく集中して学習をしているのでしょう。これはつまり、平日2時間、休日5時間以上、受験本番の2年前くらいから実行し続けているということです。もちろん、授業時間以外に。定期テスト前であるとかは、関係なしに。

誰にでもできることではない、簡単ではない、というか殆どの人ができないことではあるのですが、一方で才能があるとかないとかは関係なく、週20時間の学習は、やろうと思えばできるんですよね。これって、結果を出すためにはやって「当たり前」のことと言えるのではないでしょうか。

この学習時間のなかで、英単語帳を極めたり、数学を先取りしたりするわけですが、当たり前のように難関大学に受かる人たちにとっては、やはりこのような学習を受験学年になる前からやり続けることは、当たり前なことだと思うんですね。

なぜできるのか、それは邁進できる動機付けがなされているからのように思います。目標が明確な人はやはり強いですね。

話を自分自身の執筆に戻しますけれど、僕は全くもって、今回でいうところの「当たり前」をできてきませんでした。周りにはいくらでも、当たり前のことを当たり前にできている人がいるにも関わらず。

しかし、ほんの少しずつ、当たり前が当たり前にできるようになりつつあるような気がしています。その一つは毎日執筆することであったり、読書をすることであったり、これから応募しようと思ってる純文学にお近づきになることであったり。

どう考えてもしたほうがいいこと、実行している人が少なからずいることを、実際にやれるようにする。

当たり前を実行するのは簡単ではないけれど、少しずつ軌道に乗っています。頑張って行こう。

最後までお読みくださりありがとうございます。

今日も負けない心でいきましょう!

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