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朝顔の君へ

Twitterの『#深夜の真剣文字書き60分一本勝負』。
お題は、ピントのずれたこたえ・「なんでもやってみることが大切だぜ?」・教室のカーテンの裏で・作戦大成功・朝顔、の中から一つ以上。

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朝顔がどうして咲くか、知ってる?

 どうしようもなく晴れた空、空っぽの教室に二人きり。教卓に寄り掛かってジッと黒板を見つめていた彼が、ぽつり、と呟いた。

朝顔?

 質問に質問で返したら、彼が顔だけこちらを振り向いた。真っ黒な瞳の深淵が、僕を射抜いた。

そう。朝顔。どうして咲くの?
どうして、って。朝が来るから、じゃないの。
じゃ、朝が来なかったら朝顔は咲かないわけ。
そりゃ、朝顔だもん。朝にしか咲かないよ。確かさ、朝、太陽の光にこう、反応して、咲くんでしょ。
ふうん。

 彼はひとつ瞬いて、また黒板に向き直った。そんなものに興味なんて元からなかったみたいに。そっちから聞いてきたくせに、なんだかちょっと面白くなくて、逆に今度はこっちから意味のない質問をしてみようか、と、口を開いた。

じゃあさ。黒板はなんで黒いのさ。
は?
答えてよ、黒板はなんで黒いのか。
それこそ、黒板だからじゃねーの。
じゃ、それ黒板じゃなくて白板でもいーじゃん。白く塗り潰して、白板。

 まるで子供の我儘みたいに言葉を重ねたら、彼の真っ黒な瞳が一瞬、空の光を反射してきらりと光った。ような気がした。

いいじゃん。白板。やろうぜ。
は?
お前が言ったんだろ? 黒板白く塗り潰して。白板。

 やってみようぜ。そう言ってチョークを手にした彼が、薄く笑った。久し振りに見る笑顔。慌てて教壇まで駆け上がって、白いチョークを引っ掴んだ。白い粉が制服を汚す。
 そこからは夢中だった。二人して幼稚園児が絵の具をぶち撒けるみたいに、必死に黒板を白く染め上げた。背が低くて届かない上の方は、教卓を持ってきて塗り潰した。チョークを何本も何本も粉にして、限界まで白を塗り終えた時には、二人とも真っ白に染まってしまっていた。遠くから下校のチャイムが聞こえる。彼はまだ足りぬとばかりに、黒板と金属金具の隙間に粉を詰めていた。
 コツ、コツ、と規則的な音が近付いてくる。見回りの教師だ。なんだか今日は、絶対に見付かってはいけない気がして、彼の腕を引っ張ってカーテンの裏に身を隠した。太陽に直に照らされて、一気に汗が溢れてくる。コツン、と立ち止まった革靴と共に教師が驚愕する声が聞こえて、僕は思わず口元を手で覆った。笑い声が漏れそうだった。彼の方を見ると、彼も同じように口を押さえていた。視線が交わる。彼の真っ黒な瞳に太陽が反射していた。ミッション・インポッシブルばりの高揚感。
 教師はこの白を消すべきか迷った挙句、その義務を放棄したらしい。あるいは、この手の込んだ悪戯にしか見えないそれを、何かのアート作品だか何かと思ったのかもしれない。明日には確実に消え去るそれが、それでも命を永らえさせたことに、僕はどうしようもなく安堵した。
 カーテンの裏から抜け出して、彼が白板をゆっくりと見詰めた。西日の差す教室。光と影のコントラストが、酷く絵画的で胸の奥がずくりとざわめいた。真っ黒の瞳は、見られなかった。

 嗚呼、願わくば。白板に背を向けて帰り支度を始めた彼を思う。願わくば、朝の来ない朝顔の太陽、その一欠片に、僕が成れますようにと。信じてもいない神に、あるいは儚く消えゆく白板に、祈りを込めた。

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