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未来カウンセラー

2021年8月23日上演の同名演劇作品より着想。
前日譚のような、後日談のような、アナザーストーリーのような、アンサーストーリーのような、なにか。

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「なんなんですか、あなた! もういいわ、私帰ります!」
 カウンセリング室からヒステリックな金切声が響いてきて、颯斗は大きくため息を吐いた。バタバタという物音、乱暴な扉の開閉音、次いで静寂。持ち上げたトレイにもうふたつスティックシュガーを追加して、給湯室の暖簾を持ち上げた。
「また患者さんの機嫌損ねたんすか」
「向こうが勝手にキレだしたのよ」
 これだからヒステリックおばさんは……と、独りごちて、カウンセリング室の椅子に座る女性——南辺は、その長い足を組み替えた。これ、あの人のカルテ、もう来ないと思うからどっか仕舞っといて、と差し出されたファイルにチラッと『所見なし』の四文字を見つけて、颯斗は思わず笑ってしまった。
「何笑ってんの?」
「いえ、別に。コーヒー二杯分淹れちゃったんで、俺も飲んでいいっすか」
「言いながら座ってんじゃないの」
「まあまあ。細かいことはいいじゃないっすか。冷めないうちにどうぞ」
「あんたそういうとこあるよね」
 受け取ったカルテを取り敢えず端の棚に置き、壁際に寄せてあった折り畳みテーブルにトレイを置いて引き寄せる。南辺と向かい合う形で患者用のスツールに腰を落ち着かせれば、南辺は呆れたように軽いため息を吐いた。

 “未来カウンセラー”
 それが南辺の職業だ。南辺がその祖父から譲り受けたという山奥の古い一軒家を改装して、住宅兼診療所として使っている。そして颯斗は、この診療所唯一の従業員だった。その仕事内容は多岐にわたるが、今時Webサイトすらも持たず口コミだけでやっているだけあって、患者は週に一人来ればいい方。ほとんど『南辺のお世話係』といった立ち位置だった。
 とはいえ、こんな奇特な仕事を始めて5年もすれば、界隈では有名になってくる。事実、先程の女性も、地元のカウンセラーからの紹介でやってきたと言っていた。——彼女の期待するカウンセリングではなかったようだが。

 目の前のコーヒーカップに、スティックシュガーを2本。目の前で南辺が眉を顰めたが、知ったことではない。カップに口をつければ、芳醇な香りと適度な甘さが口内に広がった。
「あんたよくそんな甘ったるそうなの飲めるわね」
「先生こそよくそんな苦いの飲めますね」
「あんたの舌がお子様すぎんのよ」
 南辺はそう言うと、ブラックコーヒーが入った自分のカップを摘み上げた。しばしのブレイクタイム。南辺がカップを机に戻したのを見計らって、颯斗は口を開いた。
「10人連続です」
「なにが」
「わかってるでしょう、さっきの方みたいに」颯斗は先程乱暴に閉じられた扉を指差してみせた。「カウンセリングの途中で怒って帰っていく患者さんすよ」
「ああ、あの阿呆ども」南辺は眉一つ動かさずに言ってのけた。「そんなに来てたの、全く営業妨害もいいとこよね」
「阿呆って」
 今度は颯斗が呆れる番だった。
「そんな簡単に言いますけどね、今月だって経営厳しいんですよ、わかってます?」
「そうなの?」
「そうなの? じゃなくて」
「だってあの人たち、私なんか必要じゃないもの」
 言って、南辺は立ち上がった。
「あんたもさ、そういう見境ない優しさ、早いとこ捨てた方がいいわよ」
 カップを机に戻し、カウンセリング室の奥へと去っていく南辺の背中を、颯斗は黙って見送るしかなかった。飲み干したコーヒーは、甘ったるい味がした。


 翌日の昼下がり。診療所に現れたのは、まだ年若い女性だった。南辺が珍しく、患者の来るより早くカウンセリング室でカンペを捲っていた。南辺はおずおずと挨拶をする彼女に優しく椅子を勧めると、その顔を覗き込んだ。ひとこと、ふたこと。不意に、彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。南辺がその肩をそっと抱く。颯斗はそっと、カウンセリング室から立ち去った。

 一時間ほど経ったあと、彼女は「ありがとうございました」と深々お辞儀をして、カウンセリング室を出ていった。颯斗が玄関まで見送りに出ると、彼女は不思議なまでにさっぱりとした笑顔で再び頭を下げ、軽やかな足取りで山道を下っていった。

 カウンセリング室に戻ると、南辺がコーヒーカップ片手に何かをカルテに書き付けているところだった。
「言ってくれたら淹れましたのに」
「んー? ああ、別に、あと注ぐだけまで準備してくれてたじゃない」
「それはそうすけど。ていうか、さっきの方」
 ふ、と南辺がペンを止めた。
「どういう……?」
「あんたがここで働き出す前、私んとこに通ってたことがある」
 南辺は再びペンを動かして文字を書き終えると、カルテを閉じて颯斗に差し出した。
「周りの馬鹿な大人たちのせいでまた逆戻りするところだった。早めに来てくれて助かったよ」
 じゃ、あたしは寝てくるから、なんかあったら対応よろしくー。と、南辺は立ち上がった。その背中を呼び止める。
「南辺先生!」
「……。なに」
「人は、人を救えるんすか」
 南辺は颯斗の目をじっと見返すと、質問には答えずに踵を返した。持ち上げた空のコーヒーカップは、まだ暖かかった。

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