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完璧に、ちょうどいい。ということ、ただの感想

憧れの始まりは数年前。

友人のインスタグラムからだった。色んな人からその評判を聞いていたmonkは、今回京都を訪れる一番の目的だったかもしれない。

ここの予約を何よりも優先し、何よりも楽しみにしていた。

コースは一人10,000円。
決して安くはないけれど、仕事を頑張った自分への"慰労"の旅行なのだからと財布のことは(今回は)気にしない。

おいしいものを味わうときに、金額のちらつきは邪魔になる。

食前や食中に食べ物の価値を金額換算すると味は炭と化し、つまらなくなってしまうのだ。

私が入ったのはカウンター席。ピザ窯のぱちぱちとした音と熱の光、じんわりその温かさが届く席。

カウンターには大きなドライの木と、フレッシュなハーブがつつましく並んでいて、目に入るすべてに無駄なものがない。気になるものが、ない。

お店の明るさも、温度も、閑かに流れる音楽もすべてがちょうどいい。
心穏やかに染まり、落ち着き、浸ることを許してくれる。

一杯目にワインを頼んでから乾杯をし、出てきたのはスープと粗いお塩とオリーブオイルがかかったシンプルなピザ生地。

このピザ生地、焼き立てをザグッ、ザグッっと目の前でカットしてくれ、文字通り出来立てほやほやで食べることができる。

これが、本当においしいっ!

おなかを空かせてきているので、ぽっかり空いた胃に触れる優しいスープ、そこから、空腹の"気持ち"を満たしてくれるピザ生地の満足感!

よくレストランで出てくるようなパンとは違う。
あれはもう一連の流れの中での常時いらっしゃる炭水化物であり、食べ惜しみもタイミングも自分で考えないといけない。

こちらの方は、「最初に」味わう1品。

…と、食べながらずっとそんなことを考えていて、
最初からじーんと感動。

今日はお客さんは2組だけ。待つこともせかされることもなく、バトンタッチをするように野菜のローストがいくつか種類を変えて出てきたんだけど、どれもびっくりするくらい甘い、というか味が濃い。

(このさわら、皮はパリッと身はしっとりうるうるだった。はぁ…幸)

(ブロッコリー、これでも焦げてない。口に入れたらいっきにパラパラと身がほぐれて口内森林破壊)

大抵の料理は、塩の味付けが濃すぎて(生ハムとかしょっぱすぎてそれだけでは食べれないものもしばしば)ワインをチェイサー代わりにすることもあるけど、monkは塩加減が本当に本当に本当に大好きだった。

何度か窯の前で、熱の通り具合を確かめて手前に置いたり奥にいれたり。
焼くことと熱を通すことは違う、ということを目の前で見せていただいた気持ち。

そんな細やかな料理をしながら、カウンターではおしゃべりも一緒に楽しんでくれるシェフたち。

話を聞きながら、その手元を見る時間も本当に楽しかった。

料理の、調理の、とても静かなライブ。
気取らない空気の中で、自然体のおいしい料理が一番おいしい時に出てくる。

コースだけど、コースじゃないような。胃袋の空き具合を面倒見なくたって大丈夫なほど、おいしくて味も量も完璧にちょうどいい。

「なぜピザなんですか?」

の質問に、まさか学生時代の図書館の話までさかのぼるとは思わなかったけど、東京で何度か言っているエンボカでもピザを焼かれていたと聞いて納得。

芳賀シェフが作った洋ナシのデザ―トも本当においしかった。
コンポートした洋ナシと生の洋ナシのスープ、ザクザクのメレンゲが入っていて…(ああ、このあたりから酔っていておいしかったという記憶だけで、味の詳細が説明できない笑)とにかく最後まで幸せでした。

今まで私は、コースデザ―トのことを心のどこかで「口直し」と思っている節があったけど、最初のピザ生地同様に、これも尊い一品でした。

空間を作り出す光も熱も音も視界も、料理も生み出す人も味つけも所作も、すべてが完璧に、ちょうどいい。

もしまた京都に来るなら、私はまた必ずここを予約したいな。する。します!

余談

もし、もしも私が店を開くなら、カウンター席を入れるかは要検討。
こんなに完璧な景色をみてしまったら、うかつにカウンターは作れない。

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