「あわい」の感覚を持つ人にこそ、デジタルの名手になってほしい
という願望の話。
暴論かもしれないが、「あわい」は「アナログ」と置き換えてもいいかもしれない。
デジタルは「あわい」がなく0か1かしかない。
0から1までの速度が一瞬。
「機械」だ。
0から1を作り上げるには、少なくとも私の場合、多くの時間を要する。
「あわい」は、人間特有、ひいては地球特有の時間の流れ。と今の私は解釈している。
昨日劇場で鑑賞した『発酵する民』、そしてテレビで鑑賞したWBC日本対チェコ戦に大きく影響された。
そしてもうすぐ春分が来る。
お彼岸とも私の地域では言う。(どの地域もお彼岸と言うのかな)
「春」だ。
山川出版『詳説世界史図録(第4版)』(2021年発行)では、
「プラハの春」について、250ページに
とクエスチョンを付けている。
同じ250ページには、まだクエスチョンがある。
「アメリカ合衆国の動揺」について、
1960年代当時のコカコーラの自動販売機に書かれている言葉から、
また、
有名な演説も載っていた。
上記に書かれていることは、書いた人によって書かれたもので、当事者たちが直接書いたものではない。
よって、書いてあること全てが「答え」「正解」「真理」であるとは思っていない。
一文字一文字何を込めたかなんてわからない。
言葉や文字を読んだ上で、情報を手にした上で、
自分はどう考えるか。
デジタルに慣れない人(私を含め)にとっては、デジタルは怖い。
結果(または結果っぽいもの)が出るのが速すぎるからだ。
「アナログ人間」という言葉をよく目にする。
その言葉は自己紹介などで自虐的な要素を含んで用いられることもあるが、人間はまさしくアナログ人間だ。
人間特有の「あわい」という感覚を身につけている人にこそ、デジタルの名手になってほしい。
この曲はほとんどの人が耳にしたことがあるのではないか。
Apple Musicの概要欄には、ドヴォルザークについて、
「きいたことのある音楽」を、
チェコから、
クラシックと呼ばれる年代から、
きちんと現代のこの瞬間まで残して見せている。
と感じます。
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