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三月のひかりを白紙の中に

 透明な夜の匂いを、いつも求めてる。日が落ちたばかりの住宅街で、真夜中の、海の底みたいに静まり返ったベランダで、毎日その香りを求めて匂いにいく。朝と夜の空気の匂いが違うことに気付いたのは、もう随分前。たぶん子供の頃。淡くて、甘くて、そんな透明な空気の塊に癒やされることに気付いたのも、たぶん同じ頃。

 一度絡まり始めた糸が中々解けないのと同じように、幸せだと思うことが出来たはずの日常の欠片ですら、もうそこには何もないと気付いた時には遅くて、ただの石ころをみつめるような眼差しでそれをみるようになってからは早かった。何をしても浮かばれない。何をしていても楽しくない。笑えない。笑ってるけど、笑ってない。ただ過ぎていく毎日を、自分じゃないもう一人の自分で第三者の目線でその世界をみるみたいに少し前まで過ごしてた。

 その時は何も思わなかったけれど、たぶん私は壊れかけていたのだと思う。家を出てから少し歩いただけで目に映るのは、空まで届きそうな程にそびえ立つコンクリートのビル群。人の海。話し声、笑い声、車のクラクション、信号機の音。ずっと、ずっと、日常的に聴いてきたそれら全ての音が全部嫌になった。耳障りになった。聴きたくない。離れたい。ここから少しでも遠くへ。

 そうやって辿り着いたのはこの場所で、久しぶりに降り立っても、やっぱりいいなって思った。実は二年程前に一つのアカウントで私はnoteで活動していて、仲良くして頂いた方も沢山いて、でもある時から息をつく暇もないくらいに現実に追われ、そのうえそのアカウントにはパスワードを忘れて入れなくなって、戻りたいな、またあの方達と喋りたいな、そんな風に思っていたことすらも、いつしか手のひらに舞い落ちてきた雪みたいに溶けて、二年が経ってた。実際はもっと経ってるかもしれない。三年とか? わかんない。

 今更、あの時の誰々ですって名乗るつもりはない。私は突然音沙汰もなくふって消えて、でもSNSなんてそんなものだよねって感じで、もう、きっと、あの時に仲良くしていたほとんどの方々は私のことなんて忘れていると思う。

 今日、久しぶりにnoteを開いた。当時、仲良くして頂いた方々を何人かみかけた。嬉しかった。まだ元気で活動されているんだって、泣きそうになった。当時に読ませて頂いた記事のこと、コメントでやりとりさせて頂いたこと、勿論鮮明には覚えてないけど、朧気にその人の人となりは覚えてる。よくしてくれた。当時のアカウントでフォローさせて頂いた方たちはみんないい人だった。それだけは、はっきりと覚えてる。noteが好きになったのだってきっと、その人たちのおかげ。顔も、本名だって、知らない。でも、文章を通して溢れるお人柄や性格は何一つ変わらなくて、私はあの時の誰々ですって言いたくなった。いつか、言うのかもしれない。我慢出来なくて。近い内に何人かには言おうと思ってる。

 「お久しぶりです。〇〇です」

 忘れられててもいい。それなら私は、今のこのアカウントでまたその方たちと仲良くしたい。あの時みたいに、文章で。

 この場所は、それが出来る温かい場所だって知ってる。

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