見出し画像

「お母さん」が板につくということ

1月生まれの息子、もうすぐ生後3ヶ月になる。

あっという間だった。早かった。と思いつつ、長かった、濃密だった……という気もする。

振り返ると、里帰り終了後の生後1ヶ月ごろが一番キツかった。この頃は家の中で息子を抱えてひたすらリビングをぐるぐる回っていた思い出しかない。

少しずつ息子も生活リズムのようなものができてきて、一緒に外に出かける機会も増え、お互いに人間らしい生活が営めるようになってきた気がする。

生後2ヶ月目で、息子は予防接種デビューをした。地域の新米ママ教室なるものにも一緒に参加した。
こういうところに行くと、私は人に「お母さん」「ママ」と呼ばれる。まだまだ息子は私を「ママ」とは呼ばないし、ママなるものを認識しているのかも怪しいけれど、周りの人に「お母さん」と呼ばれることにも慣れてきた。息子に話しかけるときにも、ちゃっかり「お母さんだよ〜」なんて自己暗示かけているからっていうのもあるかもしれない。

息子が新生児のとき、私を「お母さん」と呼ぶ人はいなかった。
外に出ない1ヶ月。里帰りしていたので、実家の両親はもちろん私を名前で呼ぶ。母親になった私を最大限尊重してくれていたけれど、両親にとって私はやっぱり娘だし、私も実家では甘ったれ娘のままの自覚があった。

里帰りを終える日、実家から自宅へ帰る車の中で、国道沿いのファミレスを見て、母が「早く孫ちゃんとも一緒にご飯食べに行ったりしたいね、楽しみだね」と言った。
私もうん、と頷きながら、「いつ頃になったら行けるのかなあ。その頃には、私ももう少しお母さんが板についてきてるかな」と言った。

そのとき、母に笑いながら言われた。「もう板についてるよ」と。

チャイルドシートですやすやしている息子の横で、私は母の何気ないその一言に、情けないけれど泣きそうになった。

夜中、数時間ごとに起きる息子におっぱいをあげた。それでも泣き止まない夜は抱っこして自分の部屋を歩き回った。「お母さん」になったら当たり前にしなければならないことは、想像するよりもずっと心身に堪えるものだった。次はいつ起きるのか気が気じゃなかった。息子が可愛いという気持ちより、ちゃんとお世話できているのかという不安、そしてこんな日々がずっと続いたらどうしようという恐怖の方が強かった。

私は息子を産んだけれど、全然お母さんになれている気がしていなかったんだと思う。でも、母から見た私は、ちゃんと息子のお母さんだったのかな。自分以外の誰かから見たら、私はそれなりにこの子のお母さんをできていたのかな。そう思うとほっとして、それにたぶん、私を何気なく励ましてくれた母の優しさが嬉しくて、泣けてきた。

まあ自宅に戻ってからの1ヶ月の方がこれまた辛かったんだけれども(笑)、今でも母のこの言葉を思い出して、私は嬉しい気持ちになるとともに、ちょっとだけ勇気を取り戻す。

息子、私は3ヶ月間のあなたとの毎日で、ちょっとずつお母さんになってきたよ。
いつか可愛い声で「お母さん」と直接呼んでもらえる日が、今からとても楽しみ。

この記事が参加している募集

育児日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?