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長編小説 ラブ・ダイヤグラム① 朝焼けにコーヒー

前にも一度来た事のあるコンビニの駐車場だった。

少しだけ高台になっていて、海から登る朝焼けがフェンス越しによく見えるので、
私達のお気に入りの場所になっていた。

いつも風が海の方から吹きっぱなしで、
髪が乱れるのが気になるけど、
それ以上にココの風景の素敵さに
やられてしまっていて、
もっと現場の近くにもコンビニはあるのに、
わざわざ遠くてもついここまで来てしまうのだ。

そんなオレンジ色をした素敵な海を眺めながら
フェンスに寄りかかって風に吹かれていると、
ゆっくりとした足取りで
お店の方からハナちゃんが戻ってきた。


「いつ来ても綺麗だねぇ…ここは。
はい、愛ちゃんブラックだよね」

「ありがとう。…うん、悪くないと思う。
これ見る為だけに早出するのも」

「なんかさ、愛ちゃん、
ツナギが大分サマになってきたね。
髪短くしたからかな」

「どうだろ…でももう…
毎朝コテ使ってセットしなくていいのが
こんなに楽だと思わなかった」

「ずっと愛ちゃんゆるふわなロングだったもんね。
凄いイメージ変わった。カッコいいよ。」

「ありがと……もう事務所で凄い聞かれた…
何かあったのかって」

「あはは。佐藤君とかアタシにまで聞いてきたよ。
小原さんって失恋でもしたんですか!!
とか言ってさ。
目がマジだったから気を付けた方が良いかもね。」

「なんだそれ…今日日いないっつうの。
失恋して髪切りましたなんて人…違うっつうの。」

「…何となく、とかなんでしょ?
訳とかアタシは聞かないよ。」


ハナちゃんの言う通り、
大した理由じゃあ無かった。

ふと窓ガラスに映った自分の巻き髪とツナギが
如何にも浮わっついた、か弱い女を盾にして
甘えてやってます感が出てる気がして、
急にムカついただけだ。

その場で美容室を予約して、
次の日に切ってやった。

ひと頃はその巻き具合が
命みたいに思っていた長い髪だけど、
今はもうそんなモノに
何の価値も感じなくなっていた。

バッサリ切った、躊躇も無く。
ショートウルフ…なんて呼ばれる髪型だそうだ。

その短くなった髪が、海風に揺られて変な所に当たるのにまだ慣れないまま、ハナちゃんと並んで暫くただ海を見た。


ハナちゃんはいつもニコニコしている。
愛嬌の塊のような娘だ。


こうやって微笑みながら、
穏やかに…見るからに幸せそうにしていられると
こっちまで幸せな気分になって、
今目の前に広がる綺麗な海原が
もっと綺麗に、素敵なものに見える気がした。
この子に出会えて本当に良かったなって思う。

「…もうじき2か月位だっけ。
どうだろう、続きそう?
…というか、見つかりそうかな?
愛ちゃんの探しているものが、ココの仕事でさ」

「…どうだろう。ゴメンだけど、まだ分からないや。
もう暫くジックリやってみるよ」

なんだか少し申し訳ない気持ちになりながら
後ろを振り向いて、ハナちゃんの愛車、
真っ白でピカピカの、
でっかいダンプカーに目をやった。

私…いや、私たちは、今ダンプカーで、
土や石を運ぶのが仕事だった。


ハナちゃんはこの道のベテラン。
高校を出てすぐ免許を取って、
それからずっとこの仕事を続けてきた。
好きなんだそうだ。今も、そして昔からも。
彼女のお父さんがこの仕事をしていたので影響を受けて、ずっとダンプカーの運転手になりたかったのだという。

念願叶って、
彼女は自分がやりたかった仕事をしている人間だ。

同時に、中学の時の、私の親友でもある。
進学や就職で次々と皆故郷の町を離れる中、
ハナちゃんはひたすら、この町を出る事も無く、
この町の為に働いていた。そんな人だ。

私はハナちゃんのダンプの横の、
ちっちゃいトラックに乗り込むと、
彼女の車のお尻を追っかけながら、
ラジオの電源を入れた。

早朝だというのにやたらと元気な
ロックを掛けるチャンネルに合わせると、
窓を全開にして、海のにおいを社内に取り込みながら走った。


私は…業界ド新人。
大型ダンプにも乗れない、
まだ研修中のトラック乗り。
前職はまるで畑違いの仕事をしていた。

高校入学のタイミングで故郷を離れ、
大学を卒業後、都内の会社に勤めていた。
結構名の知れた大手企業。
OLはOLでも、都会のど真ん中の
「丸の内OL」という奴だった。

「おはようございまーす。
ハナちゃん来ましたよー」

「ハナちゃんお疲れさーん!昨日と同じトコね!
もうショベルの奴来てっからさ!頼むね!」


今回の現場に来るのは三回目で、
ハナちゃんは慣れたものだった。

いつも笑顔だし愛想も良いし、
それでいて仕事もキッチリなものだから、
どこの現場に行っても一発で覚えてもらえるし、
とにかく出先での受けが良かった。

ハナちゃんを見ていて痛感するが、
「仕事が早い、正確」と同じくらいに
こういう現場は、人柄に好感を持ってもらえるかどうか…と言うのが、すごく重要だ。

現場はいわば客先で、
分からないことだらけだけど、
そのお客さん(監督とか)と
仲が良ければ困っても聞きやすいし、
何かと助けてもくれる。

何しろ私達の仕事場は「彼らの庭」だ。
この手のコミュニケーションが上手く取れるかどうかで、仕事のしやすさに雲泥の差が出ることは、素人の私のも容易に想像出来た。

事実、私達にはニコニコ接してくれる今日の現場の監督さんも、勝手が分からないまま、
自分判断で動いてしまう他の業者さんなんかには
よく鬼のような形相で怒鳴り散らしていた。

「スジ通してやってれば大丈夫だから」…と、それを見てハナちゃんは言う。


基本的に誰だって怒鳴りながら
仕事なんてしたくない。
真剣だから、皆。
事故らない事と、そつなく仕事を進める事に。
お邪魔してるアタシらが気を遣わないと。

私は彼女から仕事を教わるに当たって、
運転や段取りとかより、何より徹底して、
件の「スジ」の話や、現場での立ち振る舞いに関して色んな事を教わっていた。

昔ながらの義理人情…私が今までの仕事では一切触れてこなかった、そんな価値観がこの業界の中にはまだ生きていて、それが大事だと。
ハナちゃんは事あるたびに私に伝えてくれた。


「なんかハナちゃんって凄いよね」

「え、?何がよ」

「いやだってさ、どこの現場行っても皆、ハナちゃんに良くしてくれるじゃん。
全然違くない?現場の人達のフレンドリーさが。
ほかの会社の人らとさ」

「あはは、あたしが女の子だからってのもあるよ」

「いや、絶対それだけじゃないよアレは」

「まー…分かんないけどさ、基本この業界の人達、
女の子には優しいよ」

「うちの会社の人達もそうだもんね。
めっちゃ気使ってくれる」

「あれさ、力仕事の中の女の子…
って気遣いもあるんだろうけど、
それより多分、嬉しいんだよ。
男ばっかの職場に女の子入ってきてさ、
仕事頑張ろうとしてくれんのが」

「そういうモノ?私はまだ勘ぐっちゃうな…」

「誘ってくる人とか全然居ないでしょ?
頑張ってるうちの子感…とでも言うかさ。
すっごい保護されてる感あると思う。
愛ちゃんもウチの専務に言われなかった?
手ェ出してくる奴いたら俺に言え!
ヤキ入れたる!…って」

「あー…言われたね。確か初日。
…あのガタイで「ヤキ入れる!」とか恐怖だね。
…あれ、でも一人居るくない?
うちの会社の中に、ちょっと怪しい人」

「絶対佐藤君の事じゃん。あはは。
彼はさぁ…まだ若いし業界短いしさ。
チクるのは勘弁してやってよ」


冷暖房のきいたオフィスの中で、
キッチリ9時間余り定時で帰っていた時と比べてしまうと、労働時間的にも体力的にもキツイ。
キツイけども、ハナちゃんと過ごせる今の仕事は楽しいし、新鮮な時間だった。

私が今まで知らなかった事ばかりに日々直面して刺激を受けたし、色んな事も考えさせられた。


ただ…これが‥
私がOLを辞めて求めようとしたものなのか
…という疑問の答えがまだ、ハッキリとしない。

研修中でまだ独り立ちしてないから、
まだ結論には早い、と、内心心のどこかに
蓋をしながら仕事をしていた。

仕事終わりにはよくハナちゃんと
二人で夕飯を食べに行った。
この日も少しばかり普段より遅い時間に車を走らせ、ピークの時間を若干回ったばかりの、
お客さんの少なくなったファミレスに
二人で訪れた。

「やー、疲れたね今日も。
ツナギ巻いちゃおうかな。汗かいちゃった。」

「会社の人とかもここまで来ないし
大丈夫じゃない?」

現場での立ち振る舞い以外に、
ハナちゃんはもう一つ、
仕事場で気を付けていることがあった。

いつもツナギに身をすっぽり覆ったまま、職場でそれを絶対に脱がないのだ。ツナギのジッパーを下ろして腰の上まで捲くり紺色のTシャツ姿になると、私は改めて、ハナちゃんのその気配りは、やっぱり必要な事なんだろうなと思ってしまった。

超、が付くほどの健康体なのだ、この娘は。

中学の時はポッチャリした体の印象だったのに、
社会人になって現場で重たいもの持ったり
走ったりしているうちに、
余分な肉がきれいさっぱり落ちたらしい。

…そう、「有用なもの以外は」…だ。

女の私でさえ目が行ってしまう位なので、
さすがに周囲の視線が気になったらしく、
それ以来、特に現場と事務所では
決してツナギを脱がなくなったらしい。

アタシから仕事中、
人に隙を出してしまうのは良くない。
円滑な仕事の為にも…

暑くても絶対脱ごうともしないハナちゃんに
初めて私が聞いたとき、
心なしか悲しげにそう言っていた。
その時は、変なところ慎重なんだな
くらいにしか思わなかったけど、
実際に中身を拝見すれば、納得だ。
特に、例の佐藤なんかには確実に目の毒だ。


「そういやさ、
愛ちゃん来週から路上教習だよね。」

「うん、やっと進めた。
もうちょっとでダンプ乗れそうだ」

「やーそうかー。
愛ちゃんももうすぐデビューだねぇ」

今の所に入社と同時に取り始めた大型免許だったが、何しろ今まで乗用車ですらあまり乗らなかった人なので、散々苦労してようやく路上での教習まで進んだところだった。

免許さえ、早い所取ってしまえば、
今のような保護者同伴みたいな感じじゃなく
一人前の仕事が出来る…のだろうが、
何とも言えないすっきりしない気分のままだった。


「あれ、なんか元気ないね」

「ハナちゃん、あのさ…」


言っておきたかった。

一緒にいて楽しいハナちゃんだからこそ、
こんなに親身に、真剣に、私みたいな素人に
仕事や、大切なことを教えてくれる彼女だからこそ
伝えておきたい気持ちがあった。

ただ、それが彼女を悲しませたり、私を嫌いになったりする事にならないかと思うとなかなか口にはできない事だった。

「なんでも、言って。
親友じゃないかよアタシ達は」


腹芸をしない、いつも真っすぐな人だ。
そんなハナちゃんが心配そうに「親友」…という。
嬉しすぎて少しグッと来てしまったけど、
だからこそ、なおの事伝えなきゃならないと思った。


「前…OL辞めてすぐハナちゃんと会ったとき、話したじゃん。辞めた理由と、人生の話」

「覚えてるよ。アタシも素敵な考えだと思うよ」

「今も…それが私の一番大事な事なのは変わらない。
…それを目指して、仕事させてもらってるけど…
まだ、実感が持てないんだ。
色んな事学ばせてもらってるし、
ハナちゃんの事尊敬してる。凄い人なんだって。
一緒に居られて楽しいなって思っても居る。
…けど、それなのに何か…
まだ、入り込めないんだ。スカッと…やれないんだ」


ハナちゃんは静かに、ひとしきり私の話を聞くと
タオルで首元の汗を拭きながら、水に口をつけた。

怖かった。何を言われるのか。
彼女に嫌われてしまうのも。


「私はね、愛ちゃん」


静かな口調、真剣な目。
体を少し乗り出すようにしながら、
真っすぐ私の目を見てハナちゃんは話し出した。


「愛ちゃんの大事な事ほっぽり出してまで、
アタシと一緒にさ、
会社に骨うずめてくれなんて考えてない。
アタシはただ…アタシが好きな仕事だから、
それに教えてあげられる仕事だから、
とりあえずやってみたいっていう愛ちゃんに
伝えとるだけだよ。

正直さ…「人生」の話の答えとかまで
アタシには出してやれない。
それは多分、愛ちゃんが自分で考える事だから。
愛ちゃんが自分で‥
、納得出来るものを探してくれればそれでいい。
変な事気負わないでよ。
キッカケになるかも、何かの。
そういうつもりで声掛けただけだよ。
ここの会社に。」

「違うの、この仕事嫌になっちゃったみたいな話じゃなくて…」

「わかってる。ただ、アタシは愛ちゃんに、
探し物見つけてくれればそれでいいって
言いたいだけ。免許取った後でさ、ウチでジックリやってるうちに見つかるのかも知れないし、
全然違う所で見つかるものなのかも知れない。
分かんないよ。
でも、何なのか分からないけど、ちゃんと見つけて…って言ってるだけ。
折角…イイトコの仕事辞めてまで探し出したものなんだからさ」


注文した料理が運ばれてくると、フッ…と、
いつものハナちゃんの表情に戻った。


「ま、とりあえず食べようよぉ。
アタシもう腹ペコでさ」

「…ハナちゃん、ありがとね」

「全然。明日っからも手加減無しで
ビシバシ指導するよー。覚悟しといてね」

「覚悟必要なレベルの奴…?」

「そりゃもう、いつでも愛ちゃんが
独り立ちできるようにさ。
いつまでも優しいだけのハナちゃんだと思ってたら大間違いだからねー」

「ハナちゃん怒る所とか想像出来ないや」

「鬼のハナちゃんをしらないんだ。…
冗談はさておきさ、取りあえず、なんにせよもう免許はちゃんと取っちゃいなよ。途中でやめちゃってもお金無駄になっちゃうからさ」

ハナちゃんは…どこまでも私に優しかった。
あまりにも優しくて、ファミレスで別れて一人でアパートに帰ってから少しだけ泣いてしまった。
彼女の前では泣きたくなくて、必死に堪えていた。
涙なんて見せたらあの子の事だ、
もっと気を遣わせてしまう。

でも…話せてよかったと思う。
少しだけ心が楽になれた。

「人生」の話のカタは未だ付いてなどいないけど
いつもより少しだけ幸せな気持ちで布団に入れた。

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