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伝説のこどもたち りーちゃん

りーちゃんが来たのは、小学2年生の時。

1年生の途中から、授業中に独り言が多くなり、小児神経科受診の結果、発達障害(アスペルガー症候群)と診断されました。

2年から、支援学級に変わりましたが、すぐに不登校になってしまいました。

かなりピリピリした女の子だったので、若いスタッフがいいだろうと1:1の環境を作り遊んでもらいましたが、なかなかうまくいきません。スタッフと遊んでいても「トイレ」いうので、待っていると、こっそりおかあさんに電話して迎えに来てもらったりとか、急に機嫌が悪くなるとか……周りがめちゃくちゃ気を使っても使っても、うまくいかない…

新しく買ったバッグに気付いてもらえなかったことが、原因だったりちょっとした、言葉がひっかかったりと、機嫌を損ねた後で、原因をさぐるのですが、担当1人じゃ大変だからと、3人にしていたにもかかわらずスタッフたちは、疲弊していました。

発達障害の中でも、アスペルガー障害の場合の問題点が、ここにあります。とにかく周りの人が疲れてしまうのです。カサンドラ症候群という周囲の人への診断名まであるように、アスペルガーの人たちは、周りを引っ掻き回します。


3年生になったので、「もういいよ。わたしがやるから」とは、言ったものの何から始めましょう?

熱心なご両親だったので、わたしは、頻繁に相談を受けていました。
当時、デコフルーツにはまっていたことを知っていたので、それを持ってきてもらうことにしました。

当日、りーちゃんは、紙袋一杯のデコフルーツや、デザートを持ってきてくれてました。

とても、完成度が高くてびっくり、「これは先生にあげます」と、クリップメモの可愛いケーキをもらいました。
作り方も、とても熱心に話してくれます。

当時の職場では、年に1度「療育まつり」というイベントをやっていました。

こどもたちの作品を展示したり、売ったり、ちょっとした講演会をしたり…

「りーちゃん、今度の療育祭りで、それを売ってみる?」と、声をかけました。

「売りたい!」と、はっきり答えてくれました。



しかし、あの頃のりーちゃんは、沢山の人や賑やかな場所を苦手としていたのです。
なので、わたしはご両親と相談して、作品だけ預からせてもらうことにしていました。
看板は作ってね!とお願いはしましたが。
ところが、「自分で売る!」というのです。

またまた、ご両親と相談して、もしパニックになったらどうするかを話し合いました。
ちょっとでも、怪しい気配が見えたら、すぐに帰ること、休憩の部屋、通る道など、細かに設定しました。



当日。
全く問題なくお店に立ち、品物の説明をして、しかも、完売だったのです。


次の回からは、自信に溢れたりーちゃんがいました。


りーちゃんは、とても頭の良い子です。
自分のことの説明もできます。


ねぇ、学校ってどうなん? との問いかけには、

「わたしは、支援クラスにいってるのに、誰も支援してくれないんよ。おかしいとおもわん?」と、いいます。たしかに、知的にとても高いことと、アスペルガー独特の雰囲気を持っているので、支援しにくいだろうなぁ。

「あのね、支援というのは、まずは、その子を理解すること、そしてあとはセンスだと思う。あの人たちは、センス無さすぎ!」名言ではありますが、私たちにとっては、胸が痛い。


りーちゃんのクラスには、手のかかる子どもさんもいたのです、パッと見、手のかからないようなりーちゃんは、学校に行かないことを選択しました。

3年生も、4年生も学校にはいきませんでした。

学校の先生とも、よく話をしました。
いろんな工夫もしてもらってたと思います、でも、りーちゃんは行きませんでした。


4年生も終わるころ
「先生、あたし来年は学校に行くから」といいだしました。



 え、なんで?



「あたしは、やりたいことがあるんよ。そのためには、学校にいかなきゃいけないから」



わたしは、ご両親に連絡して、学校に連絡して、どちらとも、話し合って、ほかの子どもに会わないようなルートで入れるようにとか、いつでも、帰れるようにとか、いろいろ決めたのですが…



普通に通えたのです。



定期的にわたしのところには通っていたので、学校どうなの?と聞くと

「勉強しに行ってるから」とのこと。あたりまえか。

「あたし、休んでる時、時々学校行ってたでしょ。あれは何しに行ってたと思う?」

 え?実験とかあるから行ったんじゃないの?

「ちがうよ、偵察にいってたんだよ。そろそろ行けるような環境になったかな?って」

 あら、そうなの?

「全然、だめだったね。」あらら


 家では、なにしてたの?

「テレビみてた。あたしは、テレビが好きなの。とりあえず、テレビ見てたら、落ち着くの。テレビの中の学校に行った気分になってたり。」

勉強は好きだったので、公文の教室には通ってましたね。メダルをよくもらってました。

当時、来ていた子どもたちは、みんなわたしとよく喋ってました。
それぞれが、ちゃんと自分の言葉で話せる子たちです。


お母さんのお茶会を毎月やっていたのですが、

子どものお茶会も始めることにしました、高校生と中学生の、5.6人のお茶会でしたが、5年生のりーちゃんも入れてみました。



そして、このころから、あ、そうなんだ っていう特徴が見え始めました。

お茶会の会場までは、車の助手席に座らないといけない。お茶会も、わたしの隣に座る。誰かが、ほかの子を褒めたりすると途端に機嫌が変わるなど、

「ねぇ、あたしも、りーって呼び捨てにして」と言われて、女の子だなぁと、思いました。



子どものお茶会は、しばらくしてからは、公開お茶会になりました。

保護者の方々に囲まれてお茶会をしてました。20人ほどの保護者に囲まれて、話すんですよ。おかあさん方も興味津々だったと思います。昨日お母さんと喧嘩したという内容も飛び出します。それを聞いて、ああ、うちと同じだと、納得されることも多かったのか、毎回沢山のおかあさんが来られていました。とても、面白い会でした。

どの子も皆、堂々としていました。お姉さんたちの間にいても、りーちゃんは凛としていました。アスペルガーの場合、子ども扱いされることをとても嫌います。異年齢で環境の違う子たちと、組み合わせた方がうまく行きます。現在、うちで行っているYouTubeの配信が、このお茶会の進化系になります。


5年が終わるころ
「ねぇ、6年は普通クラスにいくからね」と、またまた、びっくり発言。


「あたしは、なりたいものがあるんだから、支援クラスにいたらだめなんよ」とのこと。

そして、普通に通常クラスに行ったんです。

普通に中学にいって、トップクラスの高校に行きました。

中学の時、一緒にドーナツ食べにいきました。「中学生活は、どう?」と聞くと「うん、普通の人のふりをしている」と答えました。

そして、憧れの国立大学に入って、挨拶に来ました。


凄いね〜。誇りに思うわ。というと

「先生に会えなかったら、こんなにならなかったと思う。ほんと、感謝してる」といわれました。



最初の頃、お父さんに言われた言葉があります。

「小さい時大変だったので、よく怒って叱りまくっていた。手も挙げたこともある。診断ついてから、失敗したと思いました。きっと、あの子は、一生僕のことを許してくれないと思う。ナイフで刺されても仕方ないと思ってます」

伝えるかどうか迷いましたが、りーちゃんにそれを話しました。

「うん、わかってる。大丈夫だよ。お父さんにはものすごく感謝してる。うちの両親は、ものすごく頑張ってくれた、だから、大丈夫!」

力強い言葉でした。

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