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「療育」って…#1

昭和53年の5月、わたしは○○療育園の療育課に作業療法士として就職しました。そこから、ずーっと療育に携わっています。もう43年も経ってしまいました。

○○療育園は肢体不自由の施設です。脊髄性小児麻痺(ポリオ)が流行っていた頃(1960年ごろ)全国に作られました。脊髄性小児麻痺は、ポリオウイルスに感染することで子どもたちの下肢に麻痺をもたらします。交通機関もまだ発達していなかったころ、病院に通うのは大変でした。そこでできたのが、病気の治療をしながら学校にも行ける施設です。ここで言う治療とは歩く訓練です。猛威を振るったポリオは,ワクチンの開発により収束していきましたが、代わりに現れたのが、脳性麻痺です。

脳性麻痺とは、主に出産時のトラブルによって脳にダメージをうけることで、身体に麻痺が起こることを指します。トラブルとは、未熟児,仮死、黄疸(新生児に起こる核黄疸)です。私が,就職したときはまさに、脳性麻痺の全盛期でした。たくさんの子どもたちが入所して、訓練したり手術したりしていました。脳性麻痺は、身体に麻痺がおこりますが、脳の障害された場所によって麻痺の種類が色々なパターンに分かれています。治療方法も、異なります。手足だけではなく、言葉の遅れや知的な遅れも伴うことがあるので、そこの治療も必要です。これらの治療は主に理学療法士や,作業療法士が行っていました。(言語聴覚士が現れるのは,まだ先の話です)

さて、療育のはなしでしたね。

療育園は、整形外科領域の施設です。整形外科医師である高木憲二が提唱した言葉です。長期にわたり医療と教育が行われる状態を指します。治療と保育(養育)と言ってもいいとおもいます。

脳性麻痺も、周産期医療の進歩により激減していきました。(そのへんのことは、「私がみた発達障害の歴史」に書いています。)

いつの間にか「療育」と言う言葉は、発達障害の子どもたちに使う言葉になっています。

ちよっと、まって、もう一つ、忘れてはいけないことがあるのです。療育は、みんなで育てていくことも含まれます。

療育という言葉が,私はとても好きでした。でも,なんか最近違うんです。そんなことを、書いていこうと思います。きょうは、1回目です。

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