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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第203回 第169章 アメリカで悩める小春医師

 お姉ちゃんの方は豊平川通に接したグランドで試験的に限定復活した雪戦会で、赤い鉢巻をして先鋒を務め、固めた雪の大型ブロックで構築された敵軍本陣を陥落させ、その上に青地に白の雪の結晶が幾片か舞うデザインの占領旗を翻らせた。この写真が地元紙に紹介され複数の会社からモデルを依頼されたが、いずれも断って市電通学での高校生活を続けた。校長まで小春ちゃんファンクラブの秘密会員になっていた。
 一浪で医学部に合格して札幌から6年間離れていた。医師免許を取得し道内の複数の都市で勤務した後、国際学会での発表を見ていたアメリカの大学の教授からスカウトされ、その医学研究所に移籍して研究者になった(フランケンは、「小春が太平洋の遠い遠い向こうに行ってしまって、もうあたしグレてやるから」と電話をかけてきた)。そこで知り合った相手と、うっふん結婚したのだが、数年後に罵倒離婚して(「あんたなんか、ふんっ」)、子どもたちの取り合いの裁判闘争に入っている。
 そのころ、「もう日本にもアメリカにもうまく適応できないの。弁護士費用が6分間刻みで請求されてくるたびに、この先アメリカで暮らしていけるかどうか不安で仕方なくなるの。どちらの国も良い面があるけど、どちらも嫌でたまらない点が目に付くの。研究のデータもずーっとうまく出ないの。子どもたちは文化的にすっかりアメリカ人になっちゃったの。日本語は少しだけ話せるけど、漢字がほとんど読めないの。うまく行かないことだらけ。父ちゃんどうしたらいいのわたし」と、珍しく弱気なメールを父親に寄越してきたそうである。「ダメー!」と叫んでボクらまだ若かった医師たちを従えていたころの威勢の良さはどこへ行ったのだろうか。パパと言われるより、父ちゃんと呼びかけられる方が、娘からの訴えが心の奥底に直接強く響いてきて、テテ親は寿命を縮めるのである。(「お母さん、小春がこんなことで参っている。オレどうしたらいいんだ。あの時、どうやっておけば良かったんだ」)。
 小春ちゃん、大変だろうけど、相談できる父親がいて良かったね。ボクは相談しようと思っても中学の途中で父親が亡くなっていたんだよ。爺ちゃんは木魚を壊していたし、お寺のハルニレの大木も台風で2本も倒れてしまったし。冷たいようだけど、医者になろうとしたのもアメリカに行って研究者になろうと決めたのも全部キミ自身だろう。すっきりとは行かない人生の複雑さ、重さに耐えるんだね。キミは決して無力じゃない。きっと今が正念場だよ。お子さんたちに対して、母親のキミにしか果たせない責任がある。キミを個人的に知っている医師・研究者の仲間たちが、それぞれの自分の人生を闘いながら、同時代人としてのキミの今後の奮闘を信じている。Remember no one ever kicks a dead dog. 日本語とオランダ語のネイティブで、米語に習熟中で、日常的にスペイン語も使いこなして、ドイツ語、フランス語まで読めるように努力をしてきたキミだろう。自信と誇りを取り戻して欲しいな。
 いよいよ辛くなってきたら、晴れた日に友だちを誘って、ちょっと高めの料理を持って海に行ってみたらいい。大空と太陽と潮風と仲間とのお喋りには特別の力があるからさ。雲の動きや形の変わり具合を追うだけでも眼にも良いはずだよ。#太瓶を皆で押さえてコルクをポンッ。少しアルコールが回ってきたら、熱い砂浜の上に仰向けになって破れかけた鍔広の麦わら帽子を顔に乗せてぐっすり眠ってごらん。その海辺でのパーティーの様子を上空静止浮遊設定のドローンで撮ってネットにアップしてよ。

第170章 セシちゃん登場 https://note.com/kayatan555/n/n4f3ed80797a0 に続く。(全175章まであります)。

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