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年末、「そろそろ大きな地震が起きてもおかしくないな」となんとなく思っていたら、新年早々の地震。その上に、羽田空港での飛行機事故。

被災している方々の被害ができるだけ小さくて済みますように。
平穏な日々にもどりますよう、祈っています。

祈りと共に、レイキを送っています。


東北の大震災のとき、イギリスにいてニュースの映像に釘付けになった。恐怖。日本から遠くはなれたイギリスにいて、なにもできないことのもどかしさ。いてもたってもいられず、何か私にできることを、と、募金活動をした。

遠く離れていても日本は祖国。土地にも人にも思い入れがある。祖国が被災しているとなると、不安になるし、悲しいし、心がざわざわして仕方ない。

被災しているひとたちに心を寄せる。その辛さを想像して、なにかできることがあれば行動にうつす。


その反面、遠くにいて何もできないという絶望感みたいなものもある。何かしてあげられたらと思うけど、お金を出すくらいしかできない。日本であんなに苦しんでいる人たちがたくさんいるのに、自分が遠く離れた安全な場所でのうのうと日々を過ごしていることへの罪悪感も感じたりする。

祈ることくらいしかできない無力感。



あのとき、モヤモヤしたり自分を責めたりしながら、結局諦めのように思ったのは、遠くにいて私にできることは、変わらない日常を、いつも通り、一生懸命生きることでしかない・・・ということ。

一緒に嘆き悲しんでもなんの助けにもならない。でも、思いは寄せる。悲しむことより、被災地にいる人たちの分も、元気に過ごせる日常に感謝して、元気に生きようと思った。

元気でいて、毎日を大切に、自分と、身近な人たちが元気でいることに留意する。なにか自分にできることがあったとき、行動するパワーがあるように。

自分が元気でないときには、他者のことを思う余裕もない。今、私は元気でいて、被害に苦しんでいるひとたちを思う。祈りもヒーリングも、私が元気でいたほうが力が出る。

罪悪感や無力感、絶望感、不安、恐怖でいっぱいになっているのではなく、感謝の気持ちで心をみたそうと思う。自分が平穏で元気でいられることに感謝。被災地の人が懸命に生きていることに感謝。何かのときに、力を差し伸べられる余力と心があることに感謝。


石川富山のほうにむけてヒーリングを送りながら、「あ、ちがう」と感じた。石川富山だけの問題じゃないと。そして地球全体にヒーリングを送った。

地震は局所的なものではなく、地球全体が関係しあって起きていることだし。被害に遭っているひとたちだけの問題でもないし、被災地にいるひとたちだけの問題でもない。被災していない人たちの幸せ度が高ければ、その分、被災している人たちへ届けられる愛も行動も増えるはず。


世界中のひとたちが、心穏やかに愛に満たされて幸せでありますように。



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