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ごめんね、が積み重なる夜に。<うつ病と起立性調節障害と双極性障害と他にも?>

<目次>
明るいうちに寝てしまった子
起立性調節障害とうつ病
簡単なことがこんなに難しい。
私が双極性障害でごめんね、と思う日。

◆明るいうちに寝てしまった子

午後中、私はひとりソファーで原稿を書いていた。

下の子たちはいつもリビングでパソコンを叩いて「あーだこーだ」と楽しそう。今日も変わらず程よくにぎやか。上の息子(16)は2階の子ども部屋にいつもこもるから、原稿にかまけて気にしなかった。

気にしていたらなにができた?というわけではないのだけど。

夫が台所でいいにおいをさせ始めたので、原稿がひと段落した私は寝室にパジャマを取りに行った。

真っ暗。

表の道の街灯にカーテンが揺れて、そこで初めて上の息子が寝ていることに気が付いた。並べて敷いた布団の、一番押し入れ側がもさっとしていたから。

唐突にかなしくなる。無性に泣きたくなる。

明るいうちから寝てしまっても、明日の昼くらいまで寝ている子だから、昼夜逆転ということもないのだけれど(今回は)。そうやって家族の時間がズレてしまうことが悔しい。

なにより、昨夜寝ていないと話していたのに、原稿にかまけて今日はあまり話しかけに行かなかった私が悔やまれる。話し足りないという感覚と、話したかったという寂しさ。今日はまだ「大好きだよ」って伝えてなかった…

ごめんね。

◆起立性調節障害とうつ病

12歳の前後に倒れて、起立性調節障害の診断を受けた上の息子。起き上がるだけで血圧がどんと下がり、脈拍がそれを補おうと早くなる検査結果に納得の診断。

しかし、身体症状と同時に現れた、興味や気力の低下、強烈なだるさ、マイナス思考に私は戸惑った。似ている…似すぎている…なにに?うつ病に。

私が双極性障害の診断を受けたのはもう8年位前かな(療養長すぎて忘れちゃったわ)。双極性障害は元気いっぱいで過活動してしまう躁状態と、そのせいで電池切れを起こして活動停止するうつ状態を繰り返す病気。

だから、うつ病の状態はよくわかる。

児童精神科で私は必死で訊いた「起立性調節障害とうつ病の関係はなんですか?」先生はあっさりと答えた「起立性調節障害そのものがうつ病の一症状だという説もあります」

子どもの不定愁訴にうつ病という言葉を使って説明することを嫌がる医者は多い様に感じていたので、直球で応えてくれた先生に私は感謝した。

それなら私にもできることがある。

◆簡単なことがこんなに難しい。

決めた時間に寝て、決めた時間に起きて、3回ご飯食べて、薬を飲んで、無理しないで休む。

うつ病のひとにはこれらのすべてがほんとうに困難だ。

困難だというと、これくらいできないなんて甘ったれている、甘やかしていると思われがち(え?私の被害妄想?)だけれど、これはほんとに困難なのだ。

~寝ると起きる

まず、決めた時間に寝る、ができるとしよう。寝ること、横になることができても寝付けるとは限らない。寝付けないのはダラダラして疲れていないからだよというひとがいるけれど、疲れれば疲れるほど寝付けなくなるのが睡眠障害というやつだ。

眠りたいのに寝付けない苦しみは、なんて表現すれば伝わるのだろう…眠ろうとするほどに目が冴えて、頭が冴えて、考えたくないことが次から次へと回りだす。地獄のメリーゴーランド。

寝付けたら寝付けたで明け方だったりする。そこから決めた時間にどう起きればいいのか。

さらに、過眠持ちだと15時間くらい平気で寝続ける。起きられるまで寝ないと起きられないし、睡眠のサイクルが24時間で回るとは限らない。上の息子は32時間くらいで回っている気がする。

ということで睡眠を手離して…

~食事

その時あるものを食べればいいじゃん?とひとは思う。これが難しい。

もはや食べたいのか?食べなきゃいけないのか?わからなくなっていることが多い。「食べなきゃ」と食べると異物感が激しくて、胃の中でごわごわして、吐きたいのに吐けなくて、胃薬をがぶ飲みしたい気分になる(しないし、させないけど)。

「食べたい」に従うと食べられることが多いのだけど、これもまたたいへん。わかりやすくコンビニのサンドイッチに例えると、ローソンのレタスサンドは食べられるけど、セブンイレブンのものはだめ、みたいなことになる。ピンポイントなのだ。

ピンポイントの食材や総菜を買い集めてくる家族の労力もたいへんだが、せっかく買い集めてきても(あるいは調理しても)、既に食べたさが消え去っていて「もう食べられない(おなかはペコペコだけど)」ということも起きる。

摂食障害の傾向は強いと思う。

~服薬

うつ病や双極性障害で薬を飲むことにつらさや罪悪感を感じないようになるまでには数年かかると私は考えている。「自分に合う薬」とは罪悪感を消してくれるものだし、合う薬に出会うまでには、薬をいくつも渡り歩く期間が必要だ。

さらに、児童精神科の処方は慎重だ。「効く」と感じる薬が出されたことがない。今かかっている国立病院が診察やその他のサポートが的確なので信頼は崩れないけれど、そうでなければ安易な処方をする医者にかかりたいくらいだ。

結論。だから、息子は眠れないし、食欲は戻らないし、薬も飲みたがらない。

私が双極性障害でごめんね、と思う日。

普段はこんなこと、思わない。むしろ「私が双極性障害でよかった」という勢いだ。

なぜ?息子のつらさを私が理解して代弁して説明できるから。

ちょっと話がそれるけれど、私は息子の状態を代弁してみて気づいたのが、うつ病やうつ状態ってほんとうに「症状」なんだ!気のせいじゃないんだ!ということ。

眠れなさ、だるさ、食欲の異常さ、マイナス思考の状態、どれを説明しても、息子は「もうそれ!って感じ」としか言わない。ドンピシャで表現が合致するらしい。私は私自身の長い闘病の中で感じた感覚を言語化しているにすぎないのに。

さて、双極性障害は、躁状態というスーパーマン期間はあれど、人生全体の活動時間はかなり限定的になってしまう。普通に9時から17時までなんて働いたら1週間と持たない感覚。少ない持ち時間で如何に自己肯定感を保ちつつ稼ぐか?が問われると思っている。

となると、妻、母、ハウスキーパー(だいぶ子どもたちに委譲しているが)、不登校サポートにフリーライター、市民団体の広報、子どもの居場所運営とパラレル人生になりつつある私は、個々の任務に圧倒的時間不足ではないか?案件。

その時々で軸足を換え、体重移動し(優先順位を押さえつつ)、すき間時間にすき間の用事をねじ込んで、全力投球をあっちへこっちへやっているわけだけれど、実際今日は、ライターとしての私に軸足がかかって、母親への加重が軽くなってしまった。

すき間時間に彼の様子を覗きに行くことだってできたのに、それを忘れて書いてしまった。もっと言えば、近いリビングでわいわいやっている下の子たちの母、はやっていたわけで、①の子の母、②の子の母、③の子の母とそれぞれの母役だって体重移動が必要な時がある。

落としどころが分からなくなってきた…

以前にも同じような話は書いた(だから、私は子どもより早く寝られない~子どもの不眠と抑うつ、とか)。またかなしくなったんだな、と思っている。

ごめんね、が積み重なる夜に。

追記:上の息子が起きてきた。現在時刻0:40。夜は長くて恐ろしい…

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