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自分を「ママ」と呼べなかった私。

我が家はみんな、名前で呼び合う。

母の私のことを、子どもたちは「ちゃん」付で呼ぶし、夫も「〇ちゃん」で呼ばれている。私も子どもたち全員をそれぞれの名前で呼ぶし、子ども同士も名前。

ママ、お母さん、お父さん、パパ、お兄ちゃんといった役割で呼ばない。

これは役割よりも「自分自身」を大切にしてほしい、という私の願いから始まった習慣。

というのは言い訳であり、後付けの理由。

実際の理由は、私がどーしても、自分を「ママはね」とか「お母さんはね」と呼べなかったから。

がんばってはみたのだ。生まれたての息子を前に、おむつを替えながら「ママはね…」うーん、なんか違う。「お母さんはね…」これも違う…

んまんま、も言えない小さな息子を前に、いったいなにをしているんだろう?と自分でもおかしかったけれど、私は結構真剣だった。でも、何回言ってみても違和感しかない。結構困った。

私は21で結婚して、22で出産した。周りの友だちは学生とか社会人初期、まだまだ「おねえちゃん」と呼ばれる年。自分自身まだまだきゃぴきゃぴしているつもりだったので、「おねえちゃん」の方が性に合っていた。でもこれもあまり大きな理由ではない。

私はずっと「かよちゃん」と呼ばれて育った。そして15年呼ばれ続けたところで、弟が生まれた。弟は15離れた私を「かよちゃん」と呼ぶ。そして弟が小学校に上がる前に私の子どもが生まれた。

私にとって赤ちゃんというのは弟だったし、弟を世話したように子どもたちを世話した。

目の前の赤ん坊は弟そっくりなのに、どうして私は「かよちゃん」じゃなくて「ママ」なの?というへんちくりんな思いがあった。

その思いに数日悩み、私は思い切って息子に言ってみた。「かよちゃんはね」

おおーこれだ。これこそ違和感がない呼び名!

そして、我が家は名前呼びに落ち着く。

夫は「パパ」とか「お父さん」でもいいかなと思ったのだけど、私が夫に「パパはさー」とか呼びかけるの?私のパパじゃないし!ということで、呼べずにずるずると名前のまま。

結果的に全員名前で呼び合うことに落ち着いている。

子どもたちが小学校に上がったら困ったことが起きた。いや、それまでも時々困ってはいたのだけれど、頻度が上がったために本格的に困ってしまったのだ。

悩みはこれ。子どもたちの友だちに私は私をなんと呼ぶ?

子どもたちはおしゃべりする頃には保育園を辞めていた上に、幼稚園に行かなかったので、子どもたちの友だちに母の私の一人称をどうするか?という悩みとはほぼ無縁だった。この悩みが、上の子の入学と共にどどーんとやってきた。

「おばちゃん」でいいじゃない?とは思った。どのママも「おばちゃんはねえ」というのだから。

でも、私はまだ30歳までに数年あった。え?「おばちゃん」っていつから使う呼び名?と思ってしまった。私、まだまだきゃぴきゃぴなんですけど?と。

仕方なく私は子どもたちの友だちに「私はね」と話すようにした。でもこれ、意外に目立つのだ。学校の送り迎えなどで「私はね」と自分を呼ぶママ、聞いたことがない。でもまあ、いいや。

もうひとつ、困ったことがあった。子どもたちが「親を名前で呼ぶことの珍しさ」に気づいてしまったこと。友だちに珍しがられまくり、子どもたちは苦し紛れに私を「かっかちゃん」と呼ぶようになった。「か」は「かあさん」の始めの音でもあるということで。

現在は上の子どもももう中学生、そろそろもう一度「かよちゃん」に戻してもらおうと、日々つついているところ。

さて、問題はいろいろあったにせよ、家族みんなが名前で呼び合ってきたことで「よかったなあ」と思うことがいくつかある。

①子どもたちと、ひととして対等である感じがしてよい
②子どもたちが親を過大評価や過信しなくてよいかもしれない?
③子どもたちの友だちと私の距離が近い、友だち扱いされている感じがする
④結果的に、役割よりも「自分自身」を大切にしてね、というメッセージになったのでは?

結論:名前で呼び合ってよかった。


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