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移住、COVID-19、プロテスト。私が海外で暮らしたかった理由をやっと言葉にできた。

先日、日経ARIAでポートランドの移住の話やリモート経営となった経緯を書かせていただいた。

このコラムを書いたとき「なぜポートランドに移住したんだっけ?」と自分に問うた。いやこのときに限らず、何度も問い答えてきた。つい最近までの私は「家族で海外で暮らしてみたい」という言葉しか持ち合わせてはいなかった。

だって暮らしたことがなかったのだから。移住した先に何が待っているか、何が得られるか、何が家族と私に起こるかなんて想像できない。だからなんで暮らしたいの?と言われても「暮らしたいから」そのシンプルな思いと言葉しか、移住する前はもちろん、移住してしばらくは出てこなかったのだ。

移住、そしてCOVID-19、プロテストが起こった。

このコラムを入稿した1週間後ぐらいに事件が起こり、そしてプロテストが始まった。COVID-19もプロテストも、亡くなったり傷ついたりしている人がたくさんおり、比較するべきものではないのは重々承知だが、COVID-19の感染拡大だけだった頃が懐かしく感じられるぐらい、私はプロテストに揺さぶられた。

昨年の夏に移住してからの半年、当時は暮らすだけでも大変で、それに加えてリモートで仕事するのも大変で、まるでジェットコースターに乗っているような毎日と感じていた。が、いま振り返れば、それは4〜5歳でも乗れるとされている〇〇マウンテンぐらいだったなと思う。それほどに、1月以降の急勾配とスピード感は激しかった。ジェットコースターが苦手だから乗ったことはないが、富○急はこんな感じなのか?笑

移住した後の半年の暮らしも様々な出会いも、まだ私が持ち合わせていた価値観や経験、ものさしのようなものを、少し想像したり、延長したり、応用したりすれば測ったり、予測したりすることができるものだったと今は思う。

が、COVID-19。これは、人類みな、今までの価値観やものさしでは測れなくなった事態であった。そして、プロテストが起こった。正直に言う。これは日本で生まれ育った私には当初、まったく状況が呑み込めなかった。わからなかったのだ。本当にわからないないのだ。ニュースを見る。ファクトとして出来事を読む。でも何も思考ができないのだ。想像ができないのだ。それは、小学校で漢字に出会うとか、初めてプログラミング言語を触るとか、そういう類のわからないではない。幼少期以降、記憶にある出来事の中に同じ「わからない」の経験はなくて、いい表現が今ここでも見つからない。私の中にこの社会の状況を捉える、何の価値観もものさしもなかったのだ。

歴史的な背景、この国における社会構造、警察の仕組みや背景。経済の流れ。そもそもプロテストの意味するところ、そして、ポートランドでも起こった暴動略奪行為。

ポートランドのプロテストは13夜続いている。その最初の3日間は、夜間に「外出禁止令」が出た。

2日目の「外出禁止令」が出たとき、Oregon Justice Resource CenterとThe Council on American-Islamic Relations of Oregonが、外出禁止令を出したことも “an attack on our rights.” であると抗議をした。私はそれを見たときにちょっとだけ視界が開け、頭のなかのいくつかの回路が初めて繋がり、少し思考できるようになったことを書いておく。

その時がティッピングポイントで、そこからなぜ今起こっているのかといった歴史的な背景や、社会の仕組みなどを文献を通じて知識として習得し始めることができた。今はこの抗議活動は、とても大切な活動で、これによって社会が、世界が変革することを私個人は願っている。何ができるかと考える。私には親という責任がひとつある。今もなお、子どもたちに自分の言葉で語ったり説明するに足りる言葉と知識は持ち合わせていないが(それは私の英語の読解力不足によるところも大きい)、6歳の長男とは、一緒に子どもが見てもわかる内容を見て、共にこのレイシズムの歴史や社会情勢を学び、意見を交換したいと思って日々試みている。

なぜ海外で暮らしたかったのか?

移住からまもなく1年。長男はキンダーガーテンの学年が今日修了した。1年前に「なんでアメリカに来たんですか?」って先生に聞かれたよね、と長男が言い出した。「なんで?」って。

私と夫はそれぞれ答えた(そこの解は違っていいのだ)。

私は「海外でみんなで暮らしたかった」とはもう言わなかった。

「〇〇と△△(子どもの名前)は、こっちに来ていろいろなお友だちにあって、いろいろな言葉を知って、見たことのないものや経験をしたよね。お母さん、お父さん、みんなが、いろいろな経験をしたらいいと思ったからだよ」と答えた。

黙って聞いていた。

知らない世界と社会がたくさんあり、測るための価値観もものさしも持っていない事態に直面した数ヶ月だった。移民という立場も、アジア人は数%というマイノリティにいる立場になることもそうだが、その立場にいる環境で、COVID-19やプロテストに遭遇するという経験をした。

そして、やっと「家族と海外で暮らしたい」という理由が

「豊かなものの見方(視点)と価値観とものさし、を見つけるため」

という理由と目的に変わった。

そして、ものの見方、価値観やものさしをアップデートしたり、増やしたりしたいからと言えるようになった。それを子どもたちにも経験して欲しいと願う。なぜなら、多様を知ることは、ものの見方を豊かにすると、それは優しさと強さに繋がると私は思っているからだ。そしてそういう人が増えるほど世の中がサステナビリティへと向かう、そんな風に考えている。

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