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坂道の攻防戦

私の家の付近は山と海が両方眺めることができる。故に、坂道が多い。自宅もなかなかの山の方にある。車が無いと歩くには根性がいる。というわけで、車で移動する日々である。
いつも買い物に出かける時には必ず通る道がある。長く一本道の坂である。両サイドは住宅街になっていて、碁盤の目のように道が繋がっている。チョロッと走れば左右に道…を繰り返す。優先道路だから、いきなり左右から車が飛び出さしてくることはないけれど、慣れていない車は、その区画ごとにブレーキをかけて左右を確認している。慣れている人や急いでいる人にとっては、
「こっちが優先だから、そのまま走れ!」
と言わんばかりに、慎重な車を煽り気味になる。
また、車どおりが多い道にも関わらず、道幅が広くない。車が行きかうことはできる幅であるが、我が道のように真ん中を走る車もある。それに、下る時には左に、上る時には右側に電信柱が立っている。その反対側は歩道だ。その電信柱のところが問題である。下る車と上る車で取り合いになるのだ。
下る車は電信柱を少し避ける。そうすると、上りの車は行きかいにくくなるので待つ。逆に、勢いよく電信柱など関係なく上ってくる車があれば、下る車は電信柱の手前で行きかうのを待つ。どちらかが待つことになる。どちらも我先にそこを通り過ぎたいと思うのだ。先にそこに差し掛かった方が勝ちである。
中には、もうお構いなしで下りだろうが上りだろうが、突っ込んでくる車もあるが、大抵はどちらかが待っている。
いい心持の人同士であれば、随分前からどちらかが待って、行きかう。その時、必ずと言っていいほど、待ってもらった方は、ひょいッと手をあげたり、「ポンポン」とお礼のクラクションを鳴らす。とても気分がいい。
待つ時だって、気分がいい。坂道一本通るだけで、その日の気分が左右する。
電気自動車だ環境問題だと世界が頑張っている時に、家の車は未だミッション車だ。勿論私の趣味ではなく、主人の譲れないことのひとつであった。次どこか壊れたら、流石にもう諦めるらしい。私は、日々どこか壊れてくれないかと祈っている。
ミッション車なんてもう若い人は乗ったことないだろうから、ミッション車が坂道にどんなに気を遣うかなんて知るはずもないだろう。
「坂道発進」たる技術がいる。技術…とは大げさだけど、オートマみたいなブレーキ踏んでアクセル踏んで…と何ていうか、ゴーカートを操縦するようなものではない。止まる時には、ブレーキを踏み後退しないようにサイドブレーキをかけ、発信する時にはクラッチを少しずづ外しながら、アクセルを強めに踏み、ゆっくりと再度ブレーキを外す…。両手両足をあちこちタイミングを合わせて操作せねばならない。これを技術と言ってどこが大げさか!と思う。
というわけで、坂を下る時にはブレーキを踏むだけでいいが、上る時にはなるべく停まりたくない気持ちでいっぱいの私である。
法律的には、どちらが譲ってあげるのが正解なのだろうか?このミッション車の操作の難しさを知っていれば、答えは自ずと、下る車が譲るのが正解だと思われる。(確認してみましたが、正解!やっぱり、法律というものは理にかなっているものだな…。そうでなければならんのです。)
要は、何が言いたいかと申しますと、私がミッション車で上っている時に、ガンガン真ん中を我が道のように下りてくる車が堪らなく、ヒドイ人に見えて仕方がない。
誰も私がミッション車に乗り、坂道発進が下手くそであることは知らないでしょうが、
「こっちはミッション車なんっすよ!停まると大変なんっすよ。」
と、いつもブツブツつぶやいている。
逆に、電信柱の手前で
「どうぞ、お先に上がって来なさいな。」
と待ってくれる人に心底、心を込めて
「感謝!」
と手をあげて挨拶している。
ブイブイ突っ込んでる車には、きっと感じの悪い兄やんが乗っているのでしょうね…?とチラリと見るが、お金持ちそうなおじ様や、機嫌の悪そうな女の人が多い。辛い坂道発進をしなくてはならぬのに、待っていたこちらに目もくれず、当然のごとき過ぎ去る車。コロナだなんだと世知辛くなって、機嫌の悪そうな車が増えた気がする。そんなに急いでどこへ行く?ちょっと待つくらい、坂を下りたところの信号でチャラになるでしょうよ。
思いやりって大事だわ…とつくづく思う。そして、知らないってちょっとした罪よ。ミッション車の大変さを知らないなんて…。罪よ。

その前に、お前たちは地球のことを考えろ!って話なんですがね…。
すすり泣き。




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