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ジーンとドライブ vol.12

小笠原から戻った私はすっかり疲れてしまった。幸い、二人とも無職であったのでのっぺりとした時間に思い出話をしながら体を休めた。
楽しい時間はあっという間で、記憶は少しづつ遠くなっていく。あんなに奮闘してジーンを連れだしたのだ。何か記念になるものを作りたいと思った。そんなもの作らずともきっと二人の中にはしっかりと刻まれている!はず…だけれど、沢山撮った写真を無駄にしたくなかったのだ。
ジーンはというと、あれだけどこにも行きたくない!と豪語していたけれど、小笠原の旅はとても楽しい時間だったようだ。お世話になったガイドさんのブログチェックを欠かさない。面と向かっては差しさわりのない受け応えしかしなかったのに、ちょっとした知り合いきどりである。それでも、元々枠をはみ出さない真面目さ故か、職安に出かけては面接を繰り返すようになっていた。
二人の空気は確実に変化していた。つい半月ほど前の重くよどんだ空気は今はない。変化を伴って小笠原から戻った二人に、面白くもあり厄介に映ったのは、周りの反応だ。

それは東京湾迄戻った瞬間から始まった。
切っていた携帯の電源を入れたのだ。着信とメールがいくつか届いたが、ほとんどが義母からだった。一気にテンションが下がったが、こちらはもう全てを完了した後である。少しは雑音を聞く余裕くらいある。案の定、相当な雑音が耳を劈いていく。旅で何をしたか、どんなだったか、良かったか?悪かったか?は一切なかった。中国船が怖いだの、台風が来そうだっただの、電話をしても出ないだの…兎に角、不安を煽るような言葉ばかりを投げつけられた。こういう人だとは分かっていたが、悲しい人だと目を閉じた。電話をする私の横でジーンも遠くのカモメを見つめていた。きっと、私の携帯からどんな言葉が聞こえているかの大よその見当はついているはずだ。何せ、彼の母なのだから。
そして、船を降りて一瞬だけ東京を歩いた後、新幹線に乗った。どんどん、現実へと引き戻されていく。最寄りの駅へは私の母が迎えに来てくれた。
車のドアを開けるなり、「満喫したか?」と聞かれ、「はい!」と答えたのはジーンだった。家に着くまでの数十分の間、小笠原での出来事をため息交じりに話し続けた。そして昔、スキューバダイビングに魅せられた母は「私ももう少し若かったら行きたいわぁ。」といいね、いいねと連呼した。
自分たちの玄関を開けて誰もいない部屋に向かって「ただいま~」と言った後、
「全然反応が違うな…。」
とジーンは苦笑いした。二人の母の全く正反対の反応についてであった。
何とも答えに困ったが、しばらく口ごもった後、私は何も言わなかった。きっと、小笠原へ行く前のガチガチの私なら、口汚く人の親を悪く言ったと思う。でも私の言うべきことではないと感じたのだ。主語はあくまでジーンであることが大事なんだ。
後日、母が写真が見たい!というので見せると、母は少し固まった。
「こんないい顔で笑うのね。」
と驚いて、その後嬉しそうに笑った。泳いでしか行けないビーチでパシャリと撮った写真だった。この一枚を見ただけで、行って良かったことが分かると言った。娘の婿が無職であることは、この人にはさほど重要ではないのだろうか?ある意味この人も変わっている。
これらの写真のジーンを見て、義母はどう思っただろうか?ただの旅行写真としか思わなかっただろうか。
因みに義父は、
「そんなに気に入ったのなら、今度はガラパゴスに行ったらいいよ~。」
とスライドを行ったり来たりさせながら、テンションマックスで笑っていた。

二度と戻れない一瞬を収めた写真。その一瞬を掴もうと必死になるあまり、目で見て記憶することをおざなりにしてしまっては勿体ない。記憶に留めておくことが一番だとは思うけど、あの一枚は撮っておいて良かった。水滴がついて所々歪みがある何とも下手な写真だが、最高の写真だ。
私は、こっそりとアルバムを作り始めることにした。

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