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ココロ躍る方へ

もっと時間があればやりたいこと出来るのに…。いつもそう思いながら過ごしていた。でも、いざ時間が出来るとクタクタで何もしないで時間が過ぎる。そうやって十数年繰り返すうちに、たくさんあったやりたいことが何だったかを思い出せなくなっていた。
和紙職人になりたいとか、絵本作家になりたいとか、自分の作品や目利きして集めた作家さんの作品を並べた雑貨屋をしたいとか、懐かしい感じの喫茶店がしたいとか。そんなことを思っていた気がする。似たようなそんなことを叶えている人が羨ましくて目を背けた。
終わりが分からない介護と毎日の生活を続けることに必死になっていたら、
解放された瞬間に空っぽになっていて愕然とした。ちょっと、浦島太郎さんの気持ちが分かるかもしれない。
子育てをそろそろ終えて漸く自分の時間が取れるという友人とは何か違って思える。人をひとり育てることはとても大変なことだろうと想像はするが、例外はあるにしても、未来や希望、いずれも明るい光がある。生と死、陰と陽。介護には切なさがどうしたって付きまとう。
知らない間に年をとって、想像以上に心は疲弊していた。
近頃、老々介護と共にヤングケアラーと言う言葉も聞くようになった。私の場合はそこまで若くなかったが、それでも辛かった。もっと若い子達があの切なさと闘いながらどこかで生きていると思うと胸が苦しくなる。

いったい自分は何がしたかったんだろう…?何に心が躍ったんだっけ?一生懸命思い出そうとした。
今からでも、いつからでも、何歳からでもチャレンジできる!とは言うけれど、やっぱり年齢は大きな重しでもある。
相変わらず、職人の世界には憧れるが今から職人にはなれそうにない。
絵本作家になりたかった昔のことを思い出し、自分にウソをつくように絵本の公募に応募するようになったが、結果は落選し過ぎて、もはや参加は恒例行事のようになっている。そろそろ向いていないと明らめた方が良さそうだ。でも、折角だから、その前にAmazonで販売して売れるかどうか試してみてもいいかもしれない…と考えみたり。私は余程往生際が悪い。でもそれで売れなきゃ後ろ髪惹かれずにスッパリ明らめられる。

はたまた、雑貨屋だ喫茶店だといきなりお店をしようたって資金も何もない。それに同じように考えていた人はもうすでにいて、私が車椅子を押し歩いている間に素敵なお店がたくさん増えた。
自分に、自分の為に積み立ててきたものが何も無いことに気づいた時の衝撃ったらなかった。
ひとつのことに一途に取り組めている人が心底羨ましく思えた。
じぶんのことに一途に取り組めていた自分が懐かしかった。

ここ2.3年、こんな風に相当イジケて過ごしていた私である。
でも、風向きが変わるように、生活のために関わっていた建築の仕事を活かせるイラストパースのお仕事を貰えたり、母のために立ち上げたハンドメイドの作品をポロポロと買ってくださる方が増えてきた。
自分の想像や考えていたことではなかったけれど、積み立ててきたものが何もないわけじゃなかったことに気づいた時の感謝の気持ちったらなかった。
ひとつひとつ出来ることを組み合わせてオリジナルができるんだと思えた。
誰かの為がいつしか自分の為にもなりうるんだと希望が持てた。

何がしたかったのかと昔の自分を探すをやめるべきだった。
あの時の自分とはもう違う。物事のいい方ばかりしか知らなかった自分じゃない。嫌なことや辛いこと、憎しみや悲しみや物事の影の部分をたくさん知った今の自分を大事にしてあげよう。
昔の自分を懐かしんだり憐れんだりして感傷に浸るのはやめよう。
もう半世紀…でなくまだ半世紀と自分を不意打ちするモノの見方をしよう。
今の自分は何に心躍るのか?
私はいつも気づくのが遅い。
とりあえず、気づけたことに感謝。


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