見出し画像

近くて遠いバイオリンの音色

高校の時、バイオリンの生演奏を聴いて自分でも驚くほど感動して、苦しくなったのを覚えている。スーッと心の奥の方へ染み入ってきたのだ。バイオリンの音は人の声に似ているらしい。
バイオリンの初めての記憶は、まだ幼稚園にも行けない年の頃。遠い親戚の家でバイオリンを持たされて弾いてみたのをかすかに覚えている。母の従妹の家だった。バイオリンの教室をしていたのかもしれない。
小学生の頃、同じクラスのキレイな顔をした男の子はバイオリンを弾いた。同じ世界にいる人とは思えないほど、品の漂う男の子だった。イタリアへ行くと突然いなくなった。きっとバイオリン留学だ。
バイオリンは別世界のものだった。
…と思っていたけれど、ある日押入れの奥の方から古い楽器ケースが出てきた。静かにケースを開けてみると、つややかに光るバイオリンが納まっていた。

バイオリンは母のモノだった。母はバイオリン弾きではない。でも、少し習っていたことがあるという。決して裕福ではなかった家の五人兄弟の末っ子だった母。ある日、店先にバイオリンが飾ってあるのを見つけて、毎日それを見に通ったらしい。バイオリンと言うものを知っていたとは思えない。あの優美な姿に魅了されたのだろうか。その辺が如何にも母らしい。
それを知った祖母が「三つ子の魂百までも…。このままほっといたら、いつまででも通いそうだ。」と、いつの日かそのバイオリンを手に帰ってきたそうだ。物のない時代に、祖母は思い切ったお金の使い方をする人だ。その後、母がバイオリン弾きになることはなかった…。けれど、バイオリンの音を知り、豊かさを覚えたのではないかと思う。それは、私を生んでからの貧しい生活の中でも、豊かさを育もうと工夫を凝らして生活をしていたことに通じる。貧しい時に、心まで貧しくなるのは悲しい。
そんな私の知らない幼い母のエピソードを聞き、目の前にあるバイオリンをまた遠く感じながら、いつか習いたいなあと漠然と思った。
母は懐かし気にフェデリコフェリーニの『道』のミニレコードを引っ張り出した。レコードの針を下ろすと流れてくる音に二人で身を沈めた。まるで泣いているようなバイオリンの音色が響いた。
数日後、大学の図書館で初めてフェデリコフェリーニの『道』を見た。悲しすぎて苦しくなった。ジェルソミーナなのか、ザンパノか…。いづれにしても音色は泣いていた。
ジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナが少し母に見えた。
この日、母とバイオリンとフェデリコフェリーニの『道』は三個一の記憶になった。

あれから随分日が経ったが、残念ながら未だ聴くのが専門である。習ったところであんな音色は出せないのは分かっているが、習うのはまだ先になりそうだ。今は寝る前に一曲、バイオリンの音色を聴いてから寝る。とてもよく眠れる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?