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錫婚式にいいとこ探し

結婚10年目の錫婚式。
世の人たちはどういう風に過ごしているんだろうか?
記念日とかそういうイベントごとに無縁の二人である。結婚記念日は二人の誕生日に由来する日でも、思い出の日でも、何でもない6月の普通の日。私がひとりで役所へ出向いて提出した。名字が変わった自分の名前を呼ぶ声に気づかず、しばらく無視し続けて、職員さんを困らせた。事務的に淡々と過ぎた日だ。
出会って一年ほどで、結婚式もせず、本当に気づけば一緒に住み始めて今に至る。それなりに、心動く感動や涙を流す日もあったけど、極端な大きな喜びも大きな悲しみもなく、淡々と過ぎた10年だった。言葉にすればどうにも幸の薄そうな二人だが、そうでもない。と、思いたい。淡々と生きることは意外と難しいことだと思うから。
10年。何かキリが良いので、少しいつもと違う気分になった。
スウィート10ダイアモンドとか別に興味ないし、旅行くらい行きたかったけどこのご時世だし、託けて美味しいモノでも食べに行っても良かったけど、相棒は超出不精だし。ま、こうしていつも通り過ぎていくのかな…と思っていると、
「山の方へツーリングでも行く?」
大きなヘルメットを片手に相棒が突っ立っている。いつもはひとりで行く、気晴らしの時間にお誘いしてくれているのだ。近くの山道をバイクで走って一時間程で帰ってくる。バイクはきっと一人で乗る方が楽しい。でも、珍しいお誘いだからうけてみることにした。何年ぶりだろうか。後ろに乗るは久しぶりだ。
「帰ったら、お互いのいいところを10個ずつ送り合うことにしよう。」
気持ちいい風をうけながら、相棒のいいところを考えた。5つくらいはサッと出てくるものだが、なかなか手ごわい。100個でなくて良かった。
勝手なもので、こうしてほしい、ああしてほしい、そんな悪いところを見つけるのは簡単だ。悪いところでも裏を返せばいいところにもなりうる。一時間ほどの間、バイクの後ろでいろんなことを思い出していた。淡々と過ぎた日々にはやっぱりいろんな感情があった。
ツーリングから戻って、小さなメモ用紙とペンを2本用意した。
色々思い出した後だからか、思っていたより早く10枚を書き終えたが、相棒は私よりもさらに早く書き終わっていた。
後でゆっくりひとりで見ることにして、また日常に戻った。
普段、相棒は何に関しても、あまり言葉にすることはない。相手がどうとでも受け取れるような返事しかしなかったりする。それは、コントロール欲求の高い義母から、傷つかず傷つけずに一旦逃れるための癖だ。

次の日、ひとりで束にしたメモ用紙を順番に開いた。
どうせ、差しさわりの無いことしか書いていないだろう。そう思っていたけど、違っていた。
漠然と、私の愛情の方が大きく、私の方が多く与えていると思っていたけど、それは私の思い過ごしだった。その10のことを目にして、実は相棒の愛情の方が大きく、私の方が与えられていたのではないかと思えた。別にこの人が気づかなくても構わないと思ってしてきたこと、言ったこと、それをちゃんと分かってたんだと思い知らされた。何度も読み返した。
この人は私をキチンと見てくれている。
それだけでもう十分だった。私の書いた10枚をもう一度書き直させてほしいと思った。いったいいつの間に逆転したんだろう。あまのじゃくめ!

言葉にしなきゃ伝わらない。よくそう言うが、その通りだ。日本人気質では難しいかもしれない。目で語る。背中で語る。そんなことに美意識がある。でも、時々言葉にして伝えたら想像以上に響く。普段からおしゃべりな私のような人間より、寡黙な相棒タイプの人がすると効果は絶大だ。
ポイントは「いいところ」だけピックアップしたところだろうか。ここに、やめて欲しいところとかも入れると、途端に喧嘩が始まってしまうだろう。
夫婦でも親子でも、友人とでもやってみると絆が深まると思う。
ちゃんと見てくれている。そのことがとても大きい。

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