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わからない日記

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生活の記録
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#エッセイ

なぜ、書いて伝えるのか

書く理由を聞かれると、今の気持ちを残しておきたいから、と答えていた時があった。それは嘘ではなかったが、最近は「気持ちを残したい」とはあまり感じず、むしろ書き上げた後には「その時の気持ちなど霧散してしまえ」とすら感じることもある。

なぜ書くのかがわからないので、考えてみる。

一つ、のちのち分析するための素材として記録を残しておく、と答える人もいるかもしれない。が、自分の場合、noteを読み返し分

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何を書くのか

この数年間でたくさんの文章を公開したが、今まで書かれたものは一体何だったのかがわからなくなった。一つ一つの文章にはその時なりのテーマがあり、届けたかった誰かも確かにいた。が、今振り返ると、よくわからない内容を理解できない書き方で書いている文章がたくさん存在している。

一度書いた文章をずっと好きでいる理由は特になく、良し悪しや善悪、美醜の感覚は時と供に変わるため、昔自分が書いた文章を嫌いになっても

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誰のために書くのか

二年ほど前、文章をたくさん書いて公開していた頃、読んでほしい人や読んでくれた時の理想の反応に対して、鮮明なイメージがあった。頭の中にいる『その人』のために書くと、どんな文章も書きやすく、公開も簡単だった。自分に課せられた役割を果たしているような気持ちになれて、想像以上に、実力以上に広い人に届けられることもあった。読み手のペルソナを内在化することは、書くテクニックとしてはとても良いのだろう。

今、

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誰が書くのか

私は、私であり、私ではない。

私は、私を、この世で最も自由にできる実験台だと思っている。精神と肉体で感じるあらゆるものを材料に実験をしている。何かに正解することもあれば何かを間違えることもあるが、どちらだとしてもそれは良い学習機会になる。革靴を手入れしながら履きこむように、私は、私を、使い倒そうと思っている。

私は、私を、私の全存在だと思っていない。私は私と私ではない部分で構成されている。自分

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