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書かずにはいられないから、書くのです。

いくら努力してもどうにもならないことがたくさんあります。いきなりオリンピック選手にはなれないし、ピアニストにはなれないのです。

「努力すれば夢は叶う」は幻想

そもそも誰が言ったのでしょうか、努力すれば夢は叶うと。それは神話であり幻想だと思ってしまいます。

ひとりひとりの能力は異なりセンスも違います。興味の方向性も持つものも環境も異なる中で、「努力すれば夢は叶う」と言いきってしまうことは、暴力的だと感じてしまいます。

「できない」の方が圧倒的に多い

人には体も頭もひとつしかないので、選択は常にひとつしか選べず、選びなかった選択肢を数えればキリがありません。

もしかしたらオリンピック選手に。
もしかしたらピアニストに。

叶わなかった夢の数は、星の数ほどあるかもしれません。努力について語るときには、そんな少し悲しい事実から始めなければいけないと思うのです。

地に足ついた「努力」が必要

未来の結果ばかりを欲しがっていては、まともな努力ができないと思います。

結果は、「結果的に得られるもの」であり、得られることが予めわかっているものではありません。

得られるかわからないことばかりを追いかけてしまうと、目の前にあるやるべきことができなかったり身が入らなかったりします。

ついつい結果が欲しくなってしまいますが、結果に近づくには目の前の道を確実に一歩ずつ進むことが必要です。

その誠実で丁寧な一歩の積み重ねを、人は努力と呼ぶのかもしれません。

何かしないと「不安」で仕方ない

「結果がわからないなら、自分が何もしなくても、なんとかなるのでは?」

という声があるかもしれません。

たしかに自分がやりたいと思っていたことや準備しようと思っていたことをすべて用意してくれる人が現れるかもしれません。それを信じてずっと待つのも選択肢の一つです。

ただ残念ながら、何もしないことも不安なのです。真っ暗な部屋の中で、誰かが明かりをつけてくれることを待ち続けることは、心が張り裂けるくらい、さびしくつらいのです。

だからせめて、努力くらいはしたいと思うのです。目の前が真っ暗だとしても、明かりのスイッチを探さざるにはいられないし、明かりがあると信じないわけにはいかないのです。

書かずにはいられないから、書く

究極的に突き詰めると生きて死ぬだけかもしれないこの人生、大したことはできないかもしれない。

けれどせめて努力くらいはしたい。結果はついてきたらラッキーくらいの気持ちで、色々なことに臨みたいのです。

美しい文章を書きたいと思っていても、誰かに刺さる文章を書きたいと思っていても、できるかはわからない。

平凡な自分にできることは、書き続けることくらいだから、そう思うと書かずにはいられないのです。

TOP画像は、最近ひらやまの本体と呼ばれるメガネ。note会のジョンレノンを目指して書き続けます。

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(9月になったので、スキへのリアクション、フルリニューアルしてます!スキ押していただくと、8月とは違ったパターンが出るのでお楽しみに!)

最後まで読んでいただきありがとうございます。