道端のベンチに座りたい
道端のベンチに座っている。
何者でもなくなりたいときがある。自分が悪者になってしまったような気分のときだ。そんなときは誰にも会いたくない。自分の顔が酷く歪んでいるから。
伸ばされてた手を掴めないときがある。自分の力ではどうしようもないことが多すぎる。普段は「なんとかなるさ」と楽観的だけど、そんな気分にもなれないときがある。
目の前で起きている現実は、圧倒的な情報量を持って自らに問いかけてくる。
ニュースでみる世界の災害や人伝の訃報などは、目の前の人が抱える困難の前では霞んでしまう。相対的な大きさは意味をもたなくなる。
なぜ自分にこんなことが起きるのか。
なぜあなたにそんなことが起きるのか。
数え切れない偶然の重なりが、いま目の前の現実をつくっている。そこに明快な理由なんてないし万能の方程式もない。
どれだけ苦しくても目の前の人と現実を見つめなければいけない。それはいまを生きる人に課された宿命だと思う。
生まれを選ぶことができないように、生きる時代を選ぶことはできない。せめていまの世の中で自分にあった環境を探すことくらいしかできない。
まだ立つことができない。足はどこに行くかを決めあぐねている。何者にもなりたくないときに、そっと座ることができる場所がほしい。道端のベンチのようなものが。
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