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#こんな社会だったらいいな を書けなかったあなたへ。そして自分へ。

#こんな社会だったらいいな というテーマが、ずっと、頭の片隅にあった。

オンラインカウンセリングとコーチングの事業をするcotreeという会社で仕事をしながら、日々社会的意義を感じてより良い未来を想像する中で、自分は、ずっと、このテーマを書けずにいた。

未来と現実をみつめているか

cotreeで働く人に特徴的なことは、ビジョンとビジネスのバランスを持っていることだ。

目の前に起きる現実を直視しながら未来を見つめる胆力がある人が多く、ありたい未来を考えながら、どんなに困難でも現実をまっすぐみつめる姿勢を持っている。

目の前の人に向き合えているか

大きな困難を抱えている人が、この社会にはたくさんいる。

自分ひとりではどうしようもできない。
周りにの人にも頼れない。
なにをしても目の前が真っ暗になる。

そうした状況にいる人たちが、いまこの瞬間にも社会には確実にいる。自分たちが生きている同じ社会に。

cotreeで働く中で、そういう方の一部にを垣間見るけど、見るたびに、自分たちの力が足りないことを痛感する。できてないことの方が多く、まだまだ届けられていない人たちがたくさんいることを思い知らされる。

自分たちは、目の前の人たちに、本当に向き合うことができているのか

そうした姿勢を問われ続けている。少しでもそうありたいと願いつつ、至らなさを痛感し続ける。

それでも、たとえ傷だらけになるのだとしても、社会を前に進め、いま目の前にいる人たちを大切に支えていきたいと、強く思う。

良い社会を語ることは、良いことなのか

「良い未来を語る」ことが、絶対的に良いことになってはいけない。

どうしようもなく未来を見つめられないことがある。どうしようもなく未来を語れない時がある。未来が見えなくなっている人がいる。

そうした人のそうした瞬間は、できればない方がよいものであるは間違いないけど、いつだれに降りかかってもおかしくないものだ。

昔、自分の感情という感情をすべてなくしてしまったとき、絶望すらまともに感じることができなかった。よりよい未来を語るなど、よい社会を語るなど、できるはずもなかった。

そのときに「さぁ、良い未来を語りましょう」と言われたら、どう思うだろうか。

語りえぬときに、その人が感じる気持ちが「未来を語れない自分は、良くない存在なのかもしれない」という気持ちではあってはいけないと思う。

語れても、語れなくてもいい

語る言葉を持たない人、語る言葉を持てない人に伝えることができるなら、伝えたい。

未来を描かなくてもいい。
より良い社会を語れなくてもいい。
ただいるだけでもいい。 

何者にも代えられないあなたは、どんな状況であれあなたであり、何ができても何ができなくても、あなたである。いつどんなときも人間としての尊厳は守られているべきであり、自分自身でも大切にしてほしい。

ただそれでも、未来に希望は必要だ

暗闇の中に一筋の明かりがなければ、暗闇の向こう側を信じて歩くことはできないように、人が生きるためには、未来の希望が必要だ。

cotreeのビジョンには、「やさしさでつながる社会をつくる」という言葉を掲げている。

たくさんの大切な意味があるけど、その一つに「その人を想像する」ということがある。

人が抱える困難や苦悩を想像できる、人の弱さや苦しみを思いやれる。そんな人が増え、そんな人たちがつながる社会をつくりたい。

そうした社会に近づくには、誰もが自分の気持ちを認知できる場や相手を知る技術を学ぶ場が必要だったり、想像力や知性、思いやりを育むことが必要だったりする。

理想論だと笑われてしまうかもしれないけど、そこに確かな光を感じる。少しでもそこに近づけるのなら、なんでもやると思える自分がいる。

だからこそ過去の自分に言いたい。

いま、何もなくてもいい。
今日、明日を描けなくてもいい。
より良い社会を、語れなくてもいい。

ただふとしたきっかけで希望を持てそうな瞬間が訪れたら、どうかその一瞬を逃さないでほしい。

自分と未来を信じて、一歩、前に踏み出してほしい。その一歩の先にはきっと、より良い社会が待っているから。

そんな言葉を過去の自分に胸を張って言えるように、また明日から希望を胸により良い社会を作っていきたいと、強く思う。

TOPの写真は、前職のカメラ部での一枚。木漏れ日がいい感じの淡い思い出。




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