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「成人年齢改正」で議論されていない課題の本質

不動産ビジネスとそれに関わる人が大好きな風戸裕樹です。今回は不動産とは関係ないのですが、先週日曜日に行われた「成人式」、議論されている「成人の定義」に関して私の考えをまとめます。
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皆さんも成人式の記憶やイメージがそれぞれあるのだとおもいますが、成人式のイメージってなんでしょう。

私は「成人式」というと暴走族の新成人が会場周辺で大騒ぎ、ついでは会場内で酒盛りを始めるとか、学校の校長先生よりも、つまらなくて長くて退屈な祝辞を話す首長に罵声を浴びせる、といったような「荒れる」「怖い」印象をもっています。私の世代はそうですよね!?!?

私個人はというと、成人式には参加しませんでした。自分の意志であり、都合がつかなかったとかではありません。その理由は、地元に友人がいなかったから。中学生から私立に通っていたので小学校時代の同級生と連絡を取る方法も(小学生や中学生はケータイもってなかった)、また逆に月日が立ちすぎて連絡とることなんて恥ずかしい状態でした。そういった人、中学受験生がクラスに2人とか3人しかいなかった私の世代ではいるのではないでしょうかね?

そんな私が成人式に関して意見を述べるのもなんですから、「成人」の定義についてだけ意見を書きたいと思います。

決定事項「成人年齢は18歳です」

成年年齢が、2022年4月から、現行の20歳から18歳に引き下げられます。約140年ぶりに成年の定義が見直されるます。それによって、成人と同じように主として契約行為に関し保護者の同意なくして可能(成立)となります。

ギャンブルや、すでに合法ドラッグともいわれている「酒、たばこ」は依然として20歳からとなります。つまり、成人年齢は「責任年齢(精神年齢というと語弊がある)として成人と見做すか否か」という視点で改正をされるということです。

政府広報オンラインより

諸外国にフォローしたという話

他国での成年定義が18歳が主流であることから、日本もこれに習ったとテレビでは報道されていました。たしかに法務省が発表しているこちらのPDFデータによれば、欧州先進国を中心に多くの国で「私法上の成年年齢」として18歳とされています。

法務省より(クリックするとPDFファイルが開きます)

これをみると、欧州では18歳が主流だがアジアや南米などの国では20歳の国が多く、考え方の違いが感じ取れます。

前述した「責任年齢」というのは、成人は「意思能力が適法に備わっているだろいう」と国が判断していることなので、18歳までに一定の自立ができる教育をする責任を国や家庭が持つことになりますし、子供も18歳までにその自覚を養わなければいけない自覚は生まれます。

日本の問題解決には寄与してない

諸外国に従って本件法律改正をしているのであれば、またどこかの首長がTVでコメントしていたように「止めることができない日本の少子高齢化社会において、早く社会に出てほしい(意識を持ってほしい)」という理由であれば、愚策だと言わざるを得ません。

日本固有の教育システムがあり、意思能力を18歳までに育むべき教育内容に変更を同時に行うべきです。

そもそも意思能力が備わるかどうかは、人それぞれの経験や教育によって異なっていて、15歳で適切な判断能力が備わる「ませた」人もいれば、25歳になるまで、「人を信じやすく(騙されやすく)」重要な決定事項には親や友人のアドバイスが必要な人だっています。自分がいつから責任を負える自信が芽生えたかなんて覚えてません。社会と接するようになって自然となった。「become」ではなくて「turn」という言葉が正しいとおもいます。

だから18歳、20歳、21歳だから成人ですということについて正解はなく、もうこうなったら「えいやっ」、世界のトレンドだからそうしておこう。そんな感じでしょう。

ただ、必ず裏に大人の思惑があるということをお忘れなく。クレジットカードが簡単に作れるようになって消費を促すということもあるかもしれませんね。

大学在学年数を減らす検討を

これは議論されていない(報道されていない)ことかもしれませんが、早く社会の一員の自覚を、また仕事をしてほしい(社会保障費用を支払ってほしい)ということであれば、大学を4年制から3年制にすべきです。

欧州諸国が18歳を成人年齢としている一方で、大学の年数は昔から3年制です。早ければ20歳に大卒で社会に出ることになります。さらに、飛び級制度もあり優秀な学生は18歳や19歳で大学を卒業し仕事に就くこともあります。欧米ではある高校の飛び級は日本では認められていません。

欧米はこのような教育システムと年数を考慮した上で成人年齢を18歳にしていると私は考えています。一方で日本の大学生の卒業年は浪人・留年する人もいるため概ね21歳や22歳です。大学進学率は男子で66%、男女でも55%を超えているのでこの年令が社会に出るマジョリティです。

「もし早く社会に出てほしい」というのが思惑の一つであれば、大学を3年制にして早く社会にでる、優秀な学生は短縮して卒業させる、そのような議論が合わせてなされるべきだったと思います。(私の時代に比べて、今は3年で卒業できる方も多いのかもしれませんが)

こういうと現在の学生から反論を受けるかもしれませんが、私の大学生時代の4年はゼミ以外の授業はほぼなし、
1年〜3年制を振り返っていても、それはそれは高校での勉強や高3の受験勉強をしていたときと比べたら、ふんだんに時間が余っているしバイトもやろうと思えばいくらできる「だるい」時間でした。(一生懸命勉学に取り組んでいる(いた)学生にはすみません。。。)

そんなんであれば、3年で卒業させてもらって早く社会に出たかったというのが今でも思っていることです。

真似る場所は「アジャイルさ」と「寛容性」

日本は制度を変更することに対して、議論の時間を要します。現状の課題や変更後に想定されうることについて丁寧に議論がなされているはずです。一方で、本質的な理由や付随して変更しなければいけないこと(法改正)が絡む場合は時間がかかりすぎるため、変更や改正にいたらず片手落ちのまま「GO!」となることも。今回の法改正はその側面が否めないと考えます。

さらに、改正後うまくワークしないと明るみになった場合であっても、戻す(修正する)ことにまた多くの時間を要します。このようなことから改正について保守的である特有の文化を醸成しているともいえます。「諸外国にならう」、そんなに世界を意識するなら、欧米でスタンダードである、アジャイルかつ寛容性についてを高めたいものです。


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