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~ノーマスクの未来に託す昨秋記憶~

名だたる古本街から外濠へとゆるく上る一帯は
オフィスとキャンパスが雑居する”丘陵地”。
ビルの狭間を縫う坂や階段脇に茂るしたたかな緑が
無機質な街に風情らしきを留める「駿河台」。

その一角にあると教えられたブックカフェは
通りに面しているはずが、チト見つけづらい。

小洒落た看板に「コレか?」と近づけば
足元の階段を見下ろす先に地階のエントランス。
急坂の立地にありがちなつくりだ。

もとより”通りすがり”に用はない。

それは入店してみて
迎える側に"待ち構え感"のないことからも
見てとれた。

と言っても、その日は開催中の企画展に
店全体がワサワサしているからで
ふりの客まで手が回らない……
と見たほうが正しいか。

大々的に貼られたポスターやフライヤーによれば
企画展は、今をときめくスター歌舞伎俳優と
知る人ぞ知る「製硯師」とのコラボもの。

セイケンシとは聞き慣れぬ職業だが
分業化された硯(すずり)づくりを
一人で全てこなす職人として
四代目若手が背負ったオリジナルの肩書きらしい。

「歌舞伎役者」と「製硯師」。
伝統を重んじる世界で果敢に新境地を拓く二人が
相通じたのも道理といえば道理。

この出逢いから硯制作を依頼された製硯師さんが
精魂こめて石に向かい明け暮れた日々。
それを撮り下ろした写真集の発売が主旨の催しだ。

カフェはこの歌舞伎役者さんと昵懇らしく
てことは関係筋も重要顧客のはずで
粗相あってはならない御仁ばかり訪れるその日は
店あげて臨戦態勢のはずだった。

えらい日に当たってしもた……。
とは思ったものの
入口脇の別室で粛々と催される展示は<入場無料>。

売れに売れてる歌舞伎役者さんはさすがにわかっても
製硯師サンは知らない人。
まして硯は全然詳しくない。

が、ご無沙汰気味の”ミュージアム気分”を味わうに
格好の機会ではある・・・♪

馬の骨レベルの新規客に店の注意が逸れるは幸いw
べつに誰が見てもいいんでしょ? とばかり
スーツ姿で受付に立つ男性に断り
展示ルームへ入れてもらう。

規模は小さくも作り込んだスペースは完璧に別世界で
控えめに話す先客もエレガントこの上ない。
(”エレガント”という表現を数十年ぶりに使った)

照度を抑えた室内にスポットで浮かび上がる
重量感 存在感 そしてお値段もハンパない
「硯」という”使う前提”でつくられた芸術品。
作り手の誠と実直な仕事ぶりが生み出した一点モノは
石の力強さがただごとでない。

そのバックグラウンドを物語るべく
背後の壁には大判のモノクローム。
職人のドラマチックな一瞬を切り取った肖像や制作風景が
至近距離から見下ろすように圧を加えてくる。

それら無言の迫力は、芸術的価値や社会的評価など
意に介さないシロウトが冷やかすだけでも
都心の俗っぽい喧噪を払い落とすに十分だった。

目の前の、ちょっとやそっとじゃ揺るがぬ石に
墨を押し当てた時のマットな触感と静謐――。
そんな空想に心澄ましたのは私だけではないはずだ。

ちなみに展示室は普段も開いていて
件の歌舞伎役者さんにまつわる常設展示をしている模様。

ギャラリーを擁したカフェ。
なかなかポイント高し♡

いや、逆か。

ギャラリーが主体で、それにカフェが併設された――
と言ったほうがしっくりくる。

入口へ戻ると、先刻の受付男性が
お好きな席へいいみたいですと
手薄なカフェスタッフに代わり教えてくれ
あらためて店内を見回した。

“本の空間”という店名通り
天井までを埋め尽くす蔵書は
雑誌、ハードカバー、函入りと、
サイズもさまざまに入り交じった背表紙が
まさに一つの「壁」。

テーブル間を仕切るマガジンラックのファッション誌は
表紙モデルの彫り深い目鼻立ちが絵画のようだ。

正面奥には掃き出しのガラス戸を通して中庭が望め
クラシカルなダイニングセットに
午後の木漏れ日が揺れている。
今少し暖かければ、そこが別格の特等席となろう。

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庭を間近に眺めるソファに陣取ると
センターテーブルのガラス天板越しに
収納されたビッグサイズの写真集へ目がゆく。
否応なしに――。

モノクロの表紙いっぱいに
西洋の裸婦がまっすぐ正面を向き座している。
背筋を伸ばし、仏頂面でこちらを見据える女性の
媚びない眼差しと筋肉質な肢体は
どう見てもアスリート。

鍛え抜かれた意志と肉体を堂々見せつける姿は
「ヌード」の下世話な概念を覆す男前のポートレイトで
見入る側も恥じらいを感じずにいられる。
しげしげと見てしまった。見つめ合うように……。

さて、、、頼んだお茶も無事来たし(笑)
何を読もうか。

振り向いた”壁”に「向田邦子」の名を見つけ
引き抜いた一冊は、セピアがかったムック本。

しばらく離れていた静かな文章が
繰れば繰るほど脳にしみわたってくる。
気持ちが凪ぐように安らいでくるのは
香り高いハーブティのせいだけではあるまい。

操作ミエミエな上っ面の情報や
クリック目的の薄っぺらい字面どもに
苛立ちながらも翻弄されがちな昨今。

取材対象者にも読者にも配慮され
注意深く選りすぐられ編まれたろう
品格と誠実にあふれた言葉たちは
延々と味わい続けたくなる。

が、そこはほどほどに
店内をもう少し観察するか――。

アンティーク調の内装に
好きなモノばかりを詰め込んだ
店というより”部屋”のような……。
本好きが、自宅のリビングを開放したような空間だ。

どこか雑然としながら、
そのどれもが知性を匂わせて
文化人や学者などが集い語らったという
往事のサロンを連想する。(見たことないケド)

てか、サロンだ。(見たことないケドね)

現に目の前のテーブルでは
艶やかな訪問着に身を包んだ女性と
羽織姿の男性も含めた華麗なる面々が
挨拶もそこそこに語らい始めてるではないか。

聞くともなしに聞こえくる会話によれば
例の歌舞伎役者さんの付き人とプロモーターも加わり
次回イベントの打ち合わせが始まった――
といったところか?

終始和やかな会話はしかしテンポ良く
現況説明からの提案そして即決、日程調整に役割分担etc.
と、案件がスピーディーにさばけてゆく。

各々の実績と信念が裏付ける立ち位置からの
互いを尊重する姿勢と、但しハッキリした主張と
プロジェクト完遂にかける共通の”熱”。
仕事人たちが発するクリエイティブな高揚は
こちらにまで伝播してくる。

好きだったラジオ番組を思い出した。

レストランのウェイティングバーで
居合わせた客の会話に聞き耳を立てる、
といった設定の。

さまざまな分野で意欲的に活動する”客”のやりとりは
どれも建設的でウィットに富んでて楽しげで
さらにオモシロイ何かへ転がってゆきそうな予感に
部外者であるこちらまで心躍った……。

カフェの盗み聞きで
そのワクワクをナマで体感できるとは♪

ましてやアートがビジネスとして成立する瞬間は
世のため人のため自分のために、ホッとする。

食わねば身がもたぬように
心も補給せずして生きるはツラい。

世の中になければ困るはずの技芸が
飯のタネになりにくいことの不条理は
どの時代も解消されぬまま。
有事の際はなおさらだ。

なりたいやりたいつくりたいの「夢」と
売れる食える経済がまわるの「現実」が
今少したやすく合致すれば――。

初対面の挨拶を交わす声が
店内のあちこちで絶え間なく湧いている。
それは”挨拶”だけに終わらせぬ野望満ち満ちた声だ。

このイベントに端を発した邂逅は、今後どう連鎖し
生きるための糧として花開くだろう。
魂に届く作品として実を結ぶだろう。

学生と社会人が交差するこの街に
あるべくしてある夢と現実の出逢いの場は
ランチもドリンクも評判で
実際、いただいたハーブティも
器・味香りともにていねいで美しかった。

そこで、このボンクラもようやく気づく。

「知と文化の発信地」を自称するカフェにとって
人気メニューや年代モノのインテリアは
店名に由来する数多の蔵書さえも
「場」を提供するための手段に過ぎない
ということに。


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