切片

ノオト以前のこと(その2)

あなた達は、全国のあちらこちらに住み着いて、あるいは通いながら、その土地に根ざして活動しています。そこが、自分のふるさとだからというのであれば理解しやすいのですが、成り行きで行き着いてしまった場所としか説明できないことも多いかと思います。どこか腑に落ちる場所。

私の場合は、DNAが岩手で(おじいさんが岩手から関西に流れてきた)、生まれたのが徳島なのですが、流れ着いたのが丹波篠山ということになります。私は無神論者ですが、その土地の精霊に呼ばれてここに居る、という感覚があります。仕事であちらこちらの田舎に出かけますが、呼ばれているなという感覚を持つ土地と、そうではない土地があるものです。

古民家再生活動の始まり

丹波県民局勤務の後、平成16年春、兵庫県庁に異動になった私は、交通政策課、技術企画課に勤務しながら、丹波篠山で古民家再生のNPO活動を始めます。同じ県職員の友人に酒井宏一という人物がいて、篠山市立町通りで築150年の町屋を購入した、これから再生すると言い出したのがきっかけでした。彼は町屋フェチだったのです。

古民家というのは、その土地の気候風土に適応して、その土地の材料(木、土など)で出来ている文化資産です。私は特に古民家フェチでもオタクでもマニアでもありませんが、丹波県民局勤務時代にその価値には気づいていましたから、彼を手伝うことにしました。

酒井宏一と私のほか、一級建築士の才本謙二、ランドスケープ博士の横山宜致、まちづくり系コンサルタント会社勤務の森岡武の5名が集まってNPO活動が始まります。ボランティアの協力で古民家を安価に再生する仕組みを作って、2年がかりでその町屋を再生しました。NPOの名称は、町屋フェチに敬意を表して「NPO法人町なみ屋なみ研究所」(通称、町屋研)としました。

世間では、古民家の再生には多額の費用が必要で、金持ちの道楽のように思われています。建て直した方が安い、と不動産会社や設計士や工務店が言うので、古民家は取り壊されてハウスメーカーの家が建ちます。町並みが壊れていきます。けれども、その常識が間違っているのではないか、というのが私たちの仮説でした。それは何かの陰謀ではないか。(この世間の常識は10数年が経過した今もあまり変わりません。私たちの活動はまだまだ始まったばかりです。)

安く直すことができれば、古民家活用の可能性は高まります。酒井宏一は、敷地面積約100坪の町屋を1,000万円で購入していました。街道側のミセはプロの職人達の指導でボランティアが改修、奥のザシキはプロの工務店が改修、果たしてそのコストは?…という社会実験です。その結果、土地代に改修費用や手数料などを乗せて、2,230万円で売りに出すことが出来ました。改修費用は、ap bankからの融資などで賄いました。内覧会に合わせて複数の不動産会社に仲介をお願いし、すぐに売れました。廃屋となった古民家を案外安価で世に出すことが出来る、そのことを実証したのです。

1)価値ある古民家がある日突然解体されてしまう、リザーブする仕組みが必要。
2)空き家であっても貸してくれない、空き家流動化の仕組みが必要。
3)住居、宿泊施設、レストラン、工房など多様な活用を目指す。
4)資金調達に市民ファンドの仕組みが必要。
5)中心市街地活性化、過疎地再生の切り札となるか?

これが、12年前に内覧会の後の反省会で整理した「5つの検討課題」です。現時点で振り返っておきましょう。

2)空き家の流動化は、その後の集落丸山の事業の中で理論化しています。3)多様な用途への活用は、既に実現しています。4)市民ファンドを試行しましたが、弱小NPOが継続的に運営することは困難と結論づけました。その後にクラウドファンディングが登場しました。NOTE事業では、ファンド方式、地域オーナー方式など、より規模の大きい資金調達手法が実現しています。1)今般の文化財保護法改正に伴って、登録文化財制度を上手く運用すると「突然解体されてしまう」ことを防げるようになりました。ただし、自治体のやる気次第です。5)古民家再生は中心市街地活性化、過疎地再生の有力な手法となり、トレンドとなりました。

町屋研が毎月第1、第3土曜日に開催する「丹波篠山古民家再生プロジェクト」のボランティア活動は、その後も途切れることなく続いていて、既に300回を数えています。
https://colocal.jp/topics/lifestyle/renovation/20160222_65415.html

そして、この活動を通じて若いメンバーが増えてきたこと、平成30年に篠山城下町在住の今村敏明が理事長に就任したことなどを契機に、町屋研は、持続可能な運営に向けた新規事業(移住者向け古民家住宅の販売、地域密着型バルの開業、外国人向けツアーガイド事業の立ち上げなど)に、取り組み始めています。

私の丹波との関わりは続きます。次回は、篠山市副市長に出向したときのことを。

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