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(110) クセのある交流 ー ひどいもんだ

「もしかして、これってこれからそうなっていくよなぁ。少しレベルが高くてクセの連続になって来たから・・・」
こんな様にいつもその予測は、間違いなく当たってしまうことになる。

『イソップ物語』の、「オオカミが来た」と嘘をついたばかりに、まさかの時に相手に信用されなくなってしまった少年の話である。このクセのある交流の様式もこれに似ている。

クライアントの中に、焦点のはっきりしない心身の多彩な故障を訴え、そればかりか、それらの症状に”こだわる”人たちがいる。”心気性的”とも考えられるこのようなクライアントは、今までに病院を転々とし、治療者の先生方は、付き合いきれなくて、”怒り”を爆発させたか、適当な口実をつけて治療が打ち切られたのか、次から次へとドクターショッピングを繰り返したと思われる。確かに、過ぎた不快な”クセ”を強く感じる。

しかし、そう言うけれども、そんなクライアントの今日までの歴史は悲しく、期待するも裏切られることの連続でやり切れないものであったろうと思われる。人は誰しも、こちらのコールに対して、優しい・温かい・認めるよというまなざしとサインを返して欲しいものなのだ。それらが、「自分は生きていいんだ」「私は生きるに値する」「私は認められた」という”確かなもの”をレスポンスに乗せて貰いたいと願っているのだ。

そんなコールに対して、親から友人たちから、学校の先生方からプラスのストロークとして返されるどころか、無視されたり逆のマイナスのストロークとして返されたに違いないのだ。決定的に足りないから、プラスの認めるストロークでなくでも、マイナスの否定のストロークでもいいから欲しいと・・・。無意識が求めてしまっているのであろうと思う。

自分の状態がどれほど「酷い」ものかを次から次へと、現実離れしたような中味も含めてあることないことを訴え始める。その訴えの状態・症状が「盛って」あったりもして、レベルが高すぎるなと「違和感」を感じることとなる。これは半ば意識半ば無意識だろうか、治療者を自分の方に適応させようとするのだ。そうすることで、一瞬でもいい「同情でもいいから、この私だけを見つめてくれ!」と願ってのことである。

去年まで幼稚園に通っていた孫娘が、園に行きたくないと、散々に「お腹の具合の悪さ」「ひざの痛み」「のどの痛み」などを訴えて、よく幼稚園を休んでいたものだ。これこそが”疾病利得”で、身体の不調を訴えると都合よく、行きたくない幼稚園を休めるからという訳なのだ。チビッ子でさえこうするのだから、大人になってこのようなクセの凄い交流は半ば以上意識的に
望んでやっているのだと思われる。

そんな決して得にならない、言ってみるならみじめな、クセのある交流を求める目的は、「騒ぎ立てて同情を求める」であろうと思われる。しかし、その高いレベルのクセから、かえって相手の非難を招く結果となり、一瞬の同情以上のものは決して得られない。また、自分の置かれている事態を悲観的に捉え過ぎていて、「ショック」だと吹聴せざるを得ないのだろう。悲しすぎる。

この交流は「カモ」になり「同情」し「世話」をやく人が必ず存在する。むしろこの仕掛けは、そんな人が居るところで繰り広げられるからだ。養育的で人の世話をやく優しい人はいるものだ。そんな人たちに「一瞬」は「同情」してもらい特別扱いを受けることになる。一瞬であるが、その「一瞬でいい」との覚悟があるから、みじめであってもその一瞬に賭けるのだ。一瞬でいいから「同情」「特別扱い」をされたいのだ。

考えてもみれば、それ以外の時間どれほど苦しい思いをしているか、の反動でもあるのだ。深い深い”歪んだ認知”の思い込みが働き、何倍かに”肥大化させた悲劇的思考”がそこにこびりついている。これが大きな問題だ。

その一瞬のいい思いの直後から、必ず胡散臭いと感じられ、同情・世話をした人たちから批判されることとなる。相手の支持を失い、孤立することとなる。以前より一層みじめで自信を失くし「ずるい奴」「うるさい奴」とレッテルを貼られ、みんなが去っていく。これでまた、悪循環が始まる。自信がなく、孤立していて淋しいのだったらよせばいいのに、またクセのある交流を仕掛けて一瞬に賭けてしまう道を歩き始めることとなるのだ。

これを「ひどいもんだ」という題のつけられた”ドラマ的交流”と言う。

人は本当に複雑なものだ。
赤ん坊の時、まずほとんど白紙でその子の”人生”が始まったはずだ。育ちながら、大きな成長を達成していくその陰で、「傷つき」も同時に誰にでも起こる起こるのだ。ほとんど、傷つきの”痛み”はあるものの、その傷をどのように手当てしたら良いのか、それがわからないまま放置するしかない。

生きる中で少しずつ”歪んで認知”する・・・これがその人の人生を”悲しみ””痛み”に塗り替えてしまう。”正しく、素直にありのままを認知する力”を身につけないと、暗闇に放り込まれてしまうことになる。人生は難しい。だから面白いのでもある。



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