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(104) ライフスタイル

人は小学校卒業ぐらいまでに自分の「ライフスタイル」を身につけると言われている。「ライフスタイル」というのは様々な説明がなされているが、アドラー博士によると、”世界””人生””自分”についての”意味づけ”を「ライフスタイル」と定義している。つまり、自分のことを自分がどう見ているか(自己概念)、他者を含む世界をどう思っているか(世界像)、自分と世界について、どのような理想を描いているのか(自己理想)という”三つの信念”の体系が「ライフスタイル」ということになる。

このnoteに私が寄せる稚拙な文章にも意識・無意識に言葉遣い・テンポ・リズムというのが生まれ、それらを総称して「文体」と呼ばれる。英語で言えば「スタイル」ということになる。

と、言うことで「ライフスタイル」というのは【私たちが生まれてから死ぬまで書き続ける”人生”そのものを書く時の、ひとりひとりの文体】という訳なのだ。交流分析で言うなら、「人生脚本」ということになる。もちろん「ライフスタイル」というのは生まれつきのものでは決してない。自分自身が”自分の眼”で見、”頭”で考え、”自分”で決めたものである。その間、それほど意識的ではないが、様々な「ライフスタイル」を試してみて、自分にフィットすると思うスタイルを「これでいく」と、ある時決断したものである。(ほとんど無意識ではあるが)

一度決断した「ライフスタイル」は不都合だと思えば、再決断してその後の人生の中で変えることはもちろん出来る。しかし口で言う程簡単なことではないのだが・・・。特に、「ライフスタイル」が生活していく上で様々な問題にぶつかった際、解決を図ろうとする時、定型のパターンをあてはめることとなる。その定型パターンで対応出来ない場合も多々あるはずだ。「ライフスタイル」に固執すると、新しい状況に適切に対応出来ず、苦しい思いをすることになることがある。

人生というのは、ほとんど予測出来ない事の連続だ。自分で半ば無意識で決めた「ライフスタイル」で身に起こった問題に対応出来ないことがしばしば起きる。圧倒され病んでしまうこともある。病むことは誰しも望まない。
だとすると、解決を図ろうとする定型パターンを考え直さなくてはならないこともある。「ライフスタイル」に基づく問題解決のパターンを身につけている訳だから、「ライフスタイル」の修正か、変更を迫られることになる。

先ほど「ライフスタイル」を変えることは簡単ではない、と書いた。その理由の大きなもののひとつに、問題解決のパターンを変えるということは、「未知の世界」に放り込まれることに等しい、ということがある。だから、わざわざ「未知の世界」に踏み出すより、「今のままの「ライフスタイル」に固執した方がいい」と、思ってしまうからなのだ。人は誰しも「変化」を怖がるものだ。不安にもなる。今のままに固執した方が「安全」だという思い込みが強いのは、ある意味当然なのかも知れない。つまり、「変われない」のではなく「変わりたくない」のだ。ほんの少しの努力で変わろうと思えば変われるのに、変わらないでおこうという選択をしてしまう。

私は、何がなくても健康でいたい。自由でいて患いたくないし、煩うことが嫌いだ。その為ならどんなことをしてでも自分を「変化」させても構わないと思っている。日頃は「ぼんやりと・・・」をしきりに望んでいるが、今までの私では知ることが出来なかった「思考」「価値観」を血眼になって探し求めている。本当に苦しかった神経症を抜け出したくて、「心理」を「哲学」を学ぼうとした高校生の時から私の課題だった。もちろん「ライフスタイル」などと専門的な用語で捉えていた訳ではなく、「自分の生き方の癖」とは何か、不器用で不調法(未だにそのままだが・・・)だから、”柔軟””寛容”を強く意識した記憶がある。

未だに愚考から抜け出せず何ともならないままではあるが、徐々に徐々に「変化」して来たと思う。その為に、自らが「変化」することを怖がらない、「未知の世界」であろうが苦しいよりましだと思い、飛び込む勇気を持ちたかった一心で毎日を送った。その際は、必ず「変化」した後の”自己像”を強くイメージすることを大切にした。そんな記憶が強く残っている。

壁に当たって、「生きづらさ」「やり切れない思い」「悲しさ」それらを感じ、「自己否定」「自己嫌悪」するくらいなら、「ライフスタイル」の修正を考えてみて欲しいと思う。「ライフスタイル」とは、言い換えれば「生き方の癖」であり、自分が掛けている「眼鏡・コンタクトレンズ」のようなものだ。だから、今まで自分はどのような「眼鏡・コンタクトレンズ」を使って世界を見ていたのか?をふり返って欲しい。レンズが歪んでいなかったか?と。そして、「どんなレンズにしたいのか?」というイメージが明らかになったとしたら、「ライフスタイル」を修正・変えることは怖くなくなり、容易になるものだ。


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