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美人薄命・・・なのかもしれない?

あるいは、憎まれっ子世にはばかるでしたっけ?美しくて素敵な方はなぜか恵まれなくてお悩み多い人生で、太々しく悪い奴はちゃっかりいい思いをしている?そんな諺がありますけれど、実際はどうでしょうか・・・

私の周りにもいい人すぎてとっても悲しいことが多い人生を送っている人がいます。本当に綺麗だし優しいし、繊細で素敵な人がなぜこんな目に遭ってしまうのだろう?一つにはそういう美しくていい人は、おっとり育っていて、悪い人の悪巧みがよく分からなくて騙される?のかもしれません。また、騙されても、自分が悪いのだからと決して人を責めないのだと思います。そして、傷つけられても、事情があるのだわと相手を理解しようとして、いくらでも親切になって、とことん傷ついてしまうのではないでしょうか?それでも優しく微笑んでいるあなたは、まるで悲しみの聖母のようです。

でも、私はそういうのは嫌です。あなたが悲しい思いをするのは嫌です。悔しいです。守って差し上げられない自分も悲しいです。そこで登場するのが、守るためには賢くならないといけない、鎧をつけなければいけない、深読みしないといけない、という態度でしょうか。聖書にも、鳩のように素直にヘビのように賢くあれ、と書いてあります。鳩を守るためにヘビにならなくてはということなのでしょうか。

弱々しく儚い、すぐに散ってしまう桜のような人生は、美しい・・・けど悲しい、でも美しい、けど悲しい。桜の花は散ってしまうけれど、風に乗って空高く舞い上がります。Tuuliも舞い上がります。消えそうになりながらも、どこまでも歌い踊り続けます。善意だけでどこまでいけるかの挑戦です。とことん鳩さんです。

さて、風はどこに向かっているのでしょうか?


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