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いつから僕らは人生ゲームに巻き込まれたのか。

昔からヤバそうな奴だと思われていたのか、「変わってるね」と言われることが多かった。
最近も言われることが多いが、あまり気にしていない。

というのもそんなことを言う人たちの多くは、「多かれ少なかれ、きっと自分にも普通じゃない部分はあるんだろう」という不安を抱えて、周囲の目に怯える子羊のような心の持ち主ばかりなのだ。

小学生の頃に、ほじった鼻くそを食べてしまうA君から「君って変わってるね」と言われた体験を元に考察を行うと、自分の子羊理論に間違いはないという確信すら芽生える。

人は自分が分からない。A君ですら、自分が普通じゃないことに気づいてなかったのだから。

自分こそが子羊理論の当事者であることに気づいてしまった読者には安心して欲しい。それでいいんだ。群れで生きる方が明らかに安定性を保った人生を謳歌できるのだ。




過去、同じ教室で共に学んだという共通点を軸に、大人数で集まる同窓会という文化が日本にはある。

これは非常に恐ろしい文化だ。というのも、ここまで赤裸々に他者と自分の人生の進捗状況を比較する機会はないからだ。

当時のスクールカーストから、現在に至るまでの十数年間で自分はどんな位置にいるのか。例えるなら「人生ゲーム」における結果発表のようなフェーズなのだろう。

正直、私としても「なぜ、こんなに残酷な文化を生み出したんだ」と発案者に問いたいのだが、その前にこういった人生の充実度にランキングをつけるような文化を下記にリストアップしたので、読者様方に是非ともご一読いただきたい。

  • 同窓会

  • 同窓会ライングループ

  • 成人式

  • 結婚式

  • 葬式

こう言った場面では必ずと言っていいほど他者比較が発生する。そして、「誰が最も選択肢が豊富な人生を歩んでいるのか」ということについての話が二次会以降の小話で場を盛り上げる。

私たちは生まれてから死ぬまで比較の目から逃げられない。

そして、自分の遥か上に嫌いな奴がいることに、言葉にならない不満を抱えながら「他人は他人、自分は自分。」と自らに言い聞かせることで、自己肯定感を満たしていくという技を覚える。

それでも私たちは、いつの間にか始まったこの人生ゲームから降りることができないのだ。

一体、いつから僕らは人生ゲームに巻き込まれたのか。









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